実践的会社史論 -年史・社史づくりの楽しみ- 第1回 準備する[1]-良いチームを作る-(その1) 東京大学大学院経済学研究科 教授 武田晴人

この連載では、毎年のように開かれる「年史・社史実務セミナー」の講演記録をもとにしながら、会社史づくりの個人的なノウハウを、年史編纂事業の進行に即して、紹介しようと思います。1冊の本を、しかも歴史の本を作る時に、どういうことに気をつけたらいいか、特にその中心になって仕事をする場合にどんなことに注意したらいいか、仮に私がそういう立場にいれば、どういうことを考えるかをお話ししたいと思います。

もちろん、これからお話しするのは、私のように大学にいて、つまり企業の外から会社史・年史を作ることに関わってきた人間が感じていることですから、多くの読者諸氏のような、その組織内側にいる方と少し視点の違うものになるかも知れません。

経営史の専門家、経済史の専門家にはそれぞれ固有のノウハウがありますし、それは学問とは異質の実業の世界にいる人たちと比べて一日の長があります。しかし、それは社史を作ることに関しては限定されたものだと思います。研究者の仕事は、一人一人がある種の職人芸のような、その人でしかできないような仕事のやり方という側面をもっています。この職人芸のようなノウハウは、簡単に伝えられる話ではありません。それは長年積み重なったカンや経験で現場主義的にできあがってきているので、私は一番いい方法と思っていても、他の先生は別の方法を持っている。その説明は簡単ではないので、ここでは資料の扱い方とか叙述の仕方とかのできるだけ基礎的で単純な話に分解しながら、社史を作っていく具体的なステップに即してどんなことを考えているかの私の経験を紹介し、後は考えていただこうというスタンスでお話を進めます。

研究の専門家の見方だということを前提に、読者の皆さんは、これから年史や社史を作るうえでの参考の1つにしていただければと考えています。

その第1回目は、企画準備段階の「人集め」「人選び」についてです。

1回限りの仕事

大学で日本経済史を専門に研究する立場から、自分でもすぐに正確には数え上げられないくらい年史・社史の編纂に関わってきましたが、その際、仕事の立ち上がりの時に気になるのは、その会社の担当者です。

年史の編纂に際して、まず念頭におくべきことは、1冊の本を作る作業は、繰り返しのきく仕事ではないということです。本づくりの最後に1000部とか1万部とか印刷する段階では大量生産になりますが、1ぺージ、1マスごとに字を埋めていく原稿執筆の段階は、1回限りの仕事です。しかも、10年史なら10年に1回のことですし、100年史だったら100年に1回、我々の寿命より長い期間に1度きりの仕事です。そのうえ、この仕事は長く残ります。10年後、100年後にも1冊の書物として、私たちの時代を伝える大切な遺産になります。

こういう1回限りの仕事は、例えばA社でやった仕事がB社でそのまま使えるかと言えば、多分、使えないことの多い仕事です。ちょうど、非常に手練の職人たちが、1つ1つ手づくりで何か作品を作っていく、そういう類の仕事です。その意味では現代の大量生産、大量消費の社会の特徴とは相当異質な、この世で1つだけのものを作る、そういう性格の仕事をしなければならないことになります。そこには、ある種の職人芸が必要な場合があります。

このように、1回限りの個性的な仕事に携わること自体が、非常に運の良いことですが、-すごく不運な巡り合わせと思う人もいるかも知れませんが-、100年に1度しか印刷されない100年史を考えると、100年間に社長は10人とか20人はいるでしょうが、100年史の編纂者は1人しかいない。そういう栄誉が編纂者には与えられます。私もこうした歴史編纂に参加できるのは、その時期・時代にめぐり合えなければできない幸運だと思っています。そういう稀な機会を楽しんでいただきたいという意味を込めて、この連載のタイトルは「年史・社史づくりの楽しみ」としています。

良いチームを作る

年史編纂の仕事を年史の担当者が1人で全部やることはできません。それほど、この仕事は多くの人の協力が必要になります。年史担当者が社内外の人をどれだけ動員できるか、どれだけその人に情報が集まってくるかが、1冊の本を作っていくうえではまず第一に大切なことです。つまり、「良好な人のネットワークが良い作品の前提条件」です。

年史担当者は、いわば、この仕事のキーマンになるわけですから、その人が、汗をかかなければ仕事はうまくいきません。しかし、担当者だけが汗をかいていても、会社という1つの組織の歴史をうまく編纂することはできないのです。どういうかたちでその担当者が、会社の中で協力を得ることができるか、あるいは、会社の外からどれだけ協力を得ることができるかが、この仕事を進めていくうえでは重要なことです。

年史・社史づくりに限ったことではなくて、どんな仕事でも同じことだと思いますが、とりわけこの仕事は会社の全体について詳しく分かっていないとできないものです。企業はある意味では専門化された仕事人たちの集団ですから、全体が分かっているというのは、無理な注文かも知れません。

多くの会社は比較的年配の方を担当者にしているようですが、別に年の功が情報のネットワークに直結するわけではありませんから、若い方で精力的に動いていただける方がいれば、そういう方でもいい。いずれにしても会社の内と外とに対して、つまり、あらゆる相手方と話ができる人、情報をもらえる人でないと年史の担当はしんどい仕事になります。