実践的会社史論 -年史・社史づくりの楽しみ- 第3回 準備する[2]-書き手選び- 東京大学大学院経済学研究科 教授 武田晴人

書き手探し

チームづくりの中で、大きな意味を持つのは書き手探しです。だれが書くかによって、この先の仕事の仕方がずいぶん変わってしまいます。自分が書くとなると、資料集めとか構想のまとめとかも、すべてその肩に掛かってきます。外の人に頼むとなれば、目次案とか構成をある程度その人にお願いすることも可能になります。ですから、仕事を進めていくうえで書き手をどういうかたちで選ぶかをある程度決めておかないといけない。この決断はお金の問題とも絡むはずですから、プロジェクトが発足する初期の段階に、実際にはどういう体制でやると、どういう予算になるかということを検討することになります。

社内の書き手

外執筆には3つぐらいのケースが考えられます。年史の中でいちばん多いのは社内で書くというケースだろうと思います。年史のうちかなりの部分は、それぞれの組織の中で原稿が書かれ、仕上げられていったものだと思います。

この場合には、書き手が比較的社内の事情に詳しいということもありますから、新しい時代を中心とする年史については適切な方法と思われる面があります。しかし、年史編纂室という組織に所属する担当者が全部自分で書くのでなければ、つまり、この部分については営業のだれだれ、この部分については工場のだれだれ、この部分については研究所のだれだれというかたちで振り分けるとしますと、それぞれのセクションにいてそれぞれの本業をもっている方に余分な仕事をお願いすることになります。

そのために、そうして選ばれた執筆者の負担が問題になります。負担の問題は、どういうかたちではね返ってくるかというと、まず、原稿の出来・不出来にすごくバラッキが出ることがあります。それから、負担を減らすためにできるだけ細かく分割して、一人の負担を小さくするほうが合理的だと判断し、そういう方法をとると、集まった原稿を全部をつなげてみると、文体も違うし、ストーリーがつながらないということにもなります。

つまり、全体の統一性という問題を考えると課題が残ります。そして、最後に仕上げる苦労は年史担当者にかかります。これはジクソーパズルをつくるくらい大変なことです。その負担を考えると、あまり細かくしないほうがいい。でも、細かくしないで1人にたくさん頼むと、負担が多すぎる相手がどんな原稿を出してくるかわからない可能性もあるし、その結果、編纂の中心になっているメンバーの負担は軽くはならないこともある。もっとも、どうやっても年史担当者の苦労は減らないと思ったほうがいいようです。

社外の書き手

このような欠陥をある程度補正できるのは専門のライターに原稿の執筆を依頼したり、あるいは社内で作った「たたき台」になる原稿をリライト、つまり文章を直してくれる人たちに頼むことです。同じような仕事を私のような大学にいる研究者に頼むこともできます。

読みやすい文章を書くという点では、いわゆる社史ライターの方が優れているように思います。そうした人たちは、書くことが本業だからです。大学の先生はやさしく書くことについては必ずしも上手であるとは限りません。私たちはどちらかと言えば、調べることの方が本業だからです。やさしいことを難しく書く方が得意かもしれません。

経済史とか経営史の専門家に頼んで、そうした人たちが、専門的な見地から資料を見て書いた場合は相当に質のいい原稿が出ることは予想はできます。ただ、これにも問題があります。というのは、私も何度かいわれたのですが、「学者先生は世の中を知らない」。専門研究者というのは、自分の仕事に対して職人芸的な自負をもっている。職人芸的なことが悪いとは思っていませんが、もうちょっと分かりやすくいうと、ビジネスライクに物事が進まないことがある。つまり、自分の作品に対して自信をもっているから、会社との折り合いがうまくいかず、原稿調整のプロセスで問題が起こらないとは限らない。

もう1つ、ビジネスライクでないというのは、ビジネスとしてみれば、分量とか納期というものがたいへん重要な意味をもつのですが、往々にしていつできるか分からないような原稿をあてどもなく待たされる可能性がある。私も通産省のプロジェクトでは、書き手であると同時に3冊を編集する立場でしたから、原稿の督促の側に立ちました。第5巻から第7巻の編集を終えるまでの5年ほどの間、何度も執筆者に待ちぼうけ状態にされたのです。ほとんど学者の先生です。「もうできています、来週送ります」といわれて、次の週に電話すると、「今やっています」とか、そば屋の出前を督促しているようなことの繰り返しが起こらないとは限らない。それは保証の限りではありません。

社内でもそういうことが起こるとは思います。社内執筆を前提にした社史の編纂に携わった時に、原稿がなかなか集まらないという経験もありますから、一概に「学者先生」だけがだめというわけでもありません。このあたりは初めにきちっと納得のいく計画を立てておくことが大事です。というのは、遅れるケースの中には、発注する側が初めから短すぎる納期で無理な注文をしている場合が多いからです。外部への発注の場合にもスケジュールを確認し、本業との兼ね合いで納得できる計画を立てていけば、問題が生じることは少ないと思います。

しかし、学者がやや扱いにくい人種であることは確かです。ただ、それなりの仕事はするだろうと思いますし、これまで出ている年史の中では比較的いい仕事を専門家はやってきているように思います。だから、私からは、そういう事情を認めたうえで、どうか私のような人間に社史や年史づくりに参加する楽しみを奪わないように配慮していただきたいとだけはお願いしておきます。