TOPPAN FORMS 50th

トッパン・フォームズ株式会社総務本部法務部 牟田克彦さんの体験談をうかがいました。

会社概要をお聞かせください…

トッパン・フォームズ株式会社は、社名からもお分かりいただけるように、トッパングループの1社で、ビジネスフォーム(BF)、データ・プリント・サービス(DPS)、ビジネスプロセスアウトソーシング(BPO)を中心に事業を展開しています。

登記上の設立は1955年(昭和30年)の5月ですが、事業の起点は凸版印刷株式会社とカナダのムーア・コーポレーションによる合弁会社「トッパン・ムーア・ビジネスフォーム株式会社」が営業を開始した1965年(昭和40年)としています。1997年(平成9年)には現在の社名へと変更し、2015年(平成27年)に創立50周年を迎えました。

会社の沿革は…

当社が営業を開始した1965年当時は、インフラや産業分野で大型汎用コンピューターの導入が本格化し始め、現在に至る情報化社会の流れがスタートした時期でした。コンピューターによる計算結果は紙などに出力する必要がありますが、その際に用いられる用紙、分かりやすく言えば「伝票」といったものがビジネスフォームです。

例えば、証券業界では取引実績をお客さまに通知する必要がありますが、経済が成長すればするほど商い高はふくらみ情報量や作業量が増加するため手書きでは対応しきれません。コンピューターで取引情報を処理し、その結果を正確に紙へ出力し、お客さまにお届けするプロセスが必要になります。ビジネスフォームを主力事業とする当社は、日本の経済成長とともに売上を右肩上がりで伸ばしてきました。

一方、1980年代に入るとビジネスフォームを供給するだけでなく、情報をプリントし、発送するまでの業務を受託するDPS事業を開始し、さらに近年では広範にDPS周辺業務を中心にBPO事業を展開しています。

年史の仕様・構成は…

50年史の書名は、当社がムーア・コーポレーションとの合弁会社からスタートしたということもあり、『TOPPAN FORMS 50th』と英文を採用しました。

構成については、歴史を正確に記していくことを意識した『History』(沿革編)と、当社の経営信条にもあるキーワードを掲げた『Pioneer』(テーマ編)の2冊組で制作しました。『Pioneer』では製品開発などのテーマを設定し、携わった人間も含めて事業の胎動を表現するよう編集しています。

判型はB5変型判(182×230㎜)です。手に取って「寝転がっても読めるサイズ」との考えから、この大きさを採用しました。また、同様に造本形態も手に持って読めることを前提に軟表紙の上製本としています。文字組みは1段の横組み、印刷は4色のカラー印刷です。

頁数は『History』が258頁、『Pioneer』が192頁となっていますが、これも手に持てる限界の頁数という観点から決定しました。

編纂体制と経過について…

創立50周年に当たって、当社はさまざまな記念事業を実施しました。その一環で年史の発刊も行いました。

編纂体制については、まず決定機関として当社に役員クラスで構成する年史編纂委員会を設置しました。社長には当然最終的な判断を仰ぐこともありましたが、主には報告ベースで編纂を進めました。

編纂委員会の下に50周年事業プロジェクト推進室・年史事務局が置かれました。私が実際の事業推進責任者である室長を務め、それに事務局長、アートディレクション・クリエイティブの統括者を加えた3名で実務を担当しました。

編纂に当たっては、トッパン年史センターに支援を依頼し、優秀な編集者とライターをアサインいただきました。さらに、デザイン・装丁に関してはアートディレクターの葛西薫さま、吉瀬浩司さまをはじめ、株式会社サン・アドの方々にお願いしました。

また、常設の年史編纂室を確保いたしました。広さは約100㎡で、いろいろと集まってくる資料の保管庫、作業・ミーティングのエリア、オフィスを設けました。こうしたスペースや環境は年史編纂の効率化に大きくつながりました。やはり必要であったと感じています。

年史の構想と企画に関しては、作業の途中で迷いが出た場合や大きな判断が必要な場合に原点に立ち返ることができるよう、当初考えていた編集や企画の方向性などをA3で1枚程度にまとめました。

資料・素材の収集では、年史センターにアドバイスをいただきながら、まず必要なものを洗い出しましたが、それらの所在を明らかにして見つけ出すのは非常に大変でした。また、全ての資料を集めることはできませんし、保管スペースにも限りがあります。まずは、絶対必要なもの、あるいは貴重なものだけを集めることを心掛けました。

さらに資料のデジタル化を行い、整理をしたうえで、最終的にはアーカイブ化して保全するところまで行いました。アーカイブ化の仕事は年史制作に必ず付随するものですし、手が抜けません。ここでも苦労しました。

取材は45回行っています。対象者は72名で、編集者、ライターも含めた大がかりな取材もあれば、事務局だけで取材することもありました。取材に対応いただくための時間調整はなかなか難しいですし、貴重な機会ですから、聞きたいポイントを押さえながら事務局が冷静に進める必要があると思います。

私のように年齢を重ねた人間は、人の話を聞いて何かを思い出すということが多々あります。物事を正確に記憶していなくても、OBの方々に座談会形式でお話しいただくなど、複数人でテーブルを囲む場を作ると、それぞれの視点からのお話で、正確な情報が見えてきたり類推できたりするので、おすすめだと思います。

原稿作成においては、編纂委員会の方針に従って編集会議で具体的な構成を議論し、決定していきました。編集会議は編集者やライターを含めた社内外のメンバーで侃々諤々と意見を交わしました。これを受けて、編集者とライターに基礎原稿を作成いただき、さらに内容は管轄部署でチェックを行いました。同時に事務局も原稿を確認し、修正を加えていき、必要に応じてまた編集会議を開催するというサイクルで進めていきました。

社内外を問わずチームとして「良いものをつくる」という共通認識があれば成果が出ます。当社では3年半をかけて年史を制作しましたが、私は最初から社外の方にも「言いたいことは言ってください」とお願いしました。実際に年史センターの方々ともずいぶんと意見のぶつかり合いがありましたが、本当に良いチームが組めたと思っています。

具体的な編纂のポイントは…

当社はビジネスフォームを主力に業界のリーディングカンパニーとして成長してきました。その中で、圧着ハガキや配送用ラベルなどさまざまな製品を市場に供給してきました。

当社は会社などで働いている方々には結構知名度はありますが、一般消費者の方々にはなかなか当社の社名や製品をご認識いただいていません。しかし、全国各地のご家庭のポストに当社の製品が入っている確率は高いです。

ビジネスフォームの世界で一番大切なのは記載されている『情報』です。当社の製品は主役になりえません。伝票などがやたら目立って主張しても困ります。いかに『情報』を正確にお伝えするのかが、当社製品の使命です。黒子役に徹し、一人ひとりに『情報』をきちんと「伝える」、あるいは一人ひとりにきちんと「伝わる」ことを大切にして製品づくりをしてきました。

年史制作についても同様で、シンプルで美しく、そしてスタイリッシュで機能的であることにこだわりました。

まず、装丁などのデザインについてですが、先ほどお話ししたようにアートディレクターの葛西さま、吉瀬さまに携わっていただき、事務局側では当社製品のアートディレクションを実際に担ってきた人間が加わってつくり上げました。

装丁デザインは白を基調としました。また、当社の「スクエアマーク」をモチーフに『History』『Pioneer』の各冊子と外箱にマークの構成色を配分し、シンプルな造形に仕上げました。このデザインを活かして配布用の箱と手提げ袋も用意し、デザインに統一感を持たせることでお客さまに驚きと好感を抱いていただけるように意図しました。

本文などのデザインに関しては、読みやすさ、見やすさにつながる仕掛けを施しました。例えば、本文では他の本と比べてノドの部分を多少広くしています。また、1行の文字数は38字を基本として制限し、写真の配置は写真の数や大きさによってどうすべきか、見出しやパーツの配置はこうすべきなどのレイアウトについてルールを定め、読みやすくなるよう配慮しました。イラストや色づかいなども統一しています。

また、折り込み頁が一つありますが、見出しの部分がきちんと最初に見えるよう折り方を工夫しました。製造の可否はありますが、幸い凸版印刷は日本を代表する印刷会社です。技術的な問題などにも相談に乗っていただきました。

社員に「年史を見てみたい」と思ってもらえるよう、50周年事業のイントラサイトを構築していたので、折に触れて年史制作を広報しましたし、年史制作の予告や状況報告などを含めて、社内報で特集を組み継続して記事を掲載しました。電子ブック版や漫画版の作成も行いました。

当社はニッチながらビジネスフォーム業界でトップクラスの企業です。「ビジネスフォームの歴史を残さなければならない」という気持ちから、ビジネスフォーム年表なども作成しました。周年記念事業としては、本社ショールームをリニューアルしたほか、全国各地で展示会を行い、年史編纂で収集した素材をステークホルダーの方々にご覧いただきました。

編纂を終えての感想は…

年史編纂を終え、とても嬉しかったのは「バイブルができたな」と褒めていただいたことです。何かしら必要な際に年史を見れば正確な情報が書いてあることは、企業活動において必要なことと思います。思い違いがあったり、人によって捉え方が違ったりと、何年に何があったという正確な情報は普段伝わってこないものです。

当社には10年史、20年史もあったのですが、50年史編纂に当たり内容を検証し、まとめ直した部分もありました。企業情報を活用するサイクルの中で、年史編纂は一つのマイルストーンになると思います。正確性を担保する、あるいは情報を体系化する年史編纂を心掛けました。ただ、白状しますと、1カ所だけ間違っていました。100年史を編纂する方へ、申し送りの記録とともに私の遺言としてここで打ち明けておきます。

また以下に反省点を中心に列挙すると、まず、年史編纂のチームに若手を入れられたら良かったと感じています。年史編纂を1度経験することでリアルな経営の大局などに触れることもでき将来のキャリア形成に役立つと思うからです。

当社では、いろいろな技術者、営業やスタッフがチームを組んで事業や製品開発を進めてきたものが大変に多く、取材対象が広がってしまうことがありました。実際、年史編纂にかけられる時間、費用には限りがあるわけですから、調整は非常に苦心しました。もう少し計画的に進められればという思いもあります。

『Pioneer』の文章作成に関しては、ニッチな業界で専門性も高いこともあり、ライターの方にも苦労いただきましたが、当社としても客観的で、一般の方々にも分かりやすい表現となるよう推敲する作業は非常に難しい作業でした。

さらに年史制作に当たっては、「最初に基礎年表を作成すること」が重要ですが、その作業をライティングと並行して進めたことは大きな反省点となりました。最後の最後に年表と本文内容や写真のキャプションに不整合が多く出てきました。年表は年史編纂の骨格になるものですから、最初から完璧な年表はできないかも知れませんが、早期に着手し、ベースを作成することをおすすめします。

最後に、資料の収集・整理、アーカイブ化に関して、当初は理想的な分類による保管と活用を考慮したシステム化を意図しましたが、実務上は年史編纂に必要なものが最優先となるので、プロの意見を伺いながら段階的にスケジュールを組んで計画を立てれば良かったと思っています。