ニッカウヰスキー80年史

元ニッカウヰスキー株式会社常勤監査役 宇佐美達也さんの体験談をうかがいました。

会社概要をお聞かせください…

ニッカウヰスキー株式会社は、1934年(昭和9年)7月2日設立、従業員約300名の洋酒全般と焼酎の製造会社です。2001年アサヒビールと営業統合し、販売はアサヒビールが行っております。2002年、旭化成の酒類部門が当社と一緒になり、2006年アサヒ協和酒類製造(株)と合併しました。工場は、創業者竹鶴政孝がつくった発祥の地である北海道の余市蒸留所を含め7ヶ所です。関係会社2社、海外では英国のグラスゴー北部のフォート・ウイリアムスに蒸留所があります。

会社の沿革は…

創業者は竹鶴政孝で、2014年NHK、朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルになり、「日本のウイスキーの父」と言われています。政孝は日本人として初めて本場スコットランドでウイスキーを学び、日本で理想のウイスキーづくりにその生涯をささげました。

1894年(明治27年)、広島県竹原で生まれ、大学を卒業後、「摂津酒造」に入社、社命によりスコットランドに留学、ウイスキーづくりを学んで帰国しました(そのときに奥さまのリタさんを連れて帰られました)。

帰国した日本は大正の大不況下で、摂津酒造はウイスキーづくりのための経済力がなく、本人は会社を辞めることになりました。その後、1923年(大正12年)「寿屋」に入社し、山崎の地で原酒製造工場をつくり工場長になりました。11年後、「寿屋」を退社、1934年(昭和9年)7月2日、当社の設立になる「大日本果汁」を北海道余市につくりました。「大日本果汁」の「日」と果汁の「果」をとって「ニッカ」という名前で商標登録し、「ニッカ林檎汁」を翌年発売しました。1952年(昭和27年)「ニッカウヰスキー」に商号を変更し、1963年(昭和38年)カフェ式連続式蒸溜機(カフェスチル)を日本で初めて英国から導入し、グレーンウイスキーをつくりました。1969年(昭和44年)仙台工場竣工、1977年(昭和52年)栃木工場を竣工し、竹鶴政孝はその翌々年に亡くなりました。

社史制作の目的とかかった時間は…

年史刊行は設立80周年の記念事業の一環です(2014年6月20日が創業者、竹鶴政孝の生誕120年にもなります)。80周年事業の目的は三つです。一つはステークホルダーへの感謝の気持ちを伝えることで、当社が今あることの感謝の気持ちを伝え、今後の良好なコミュニケーションづくりを通じてニッカの魅力や、オンリーワンを目指す企業姿勢を発信したいと考えました。もう一つは従業員のロイヤリティの向上、次世代に向けての発信です。80年の歩みを確認して、先輩方に感謝し、90年、100年への方向性を共有化することが目的です。ニッカグループで働く喜びや意義を新たにして、モチベーションアップにつなげ、次の企業文化を構築する節目としたいという思いです。

三つ目がアーカイブズで、80年の歩みを資料として整理整頓、保存し、未来に残すことで情報収集や検索する際の業務の効率向上を図ろうとしました。

2013年10月、編纂推進委員会が正式にスタートし、完成は当初の予定通り2015年7月2日でした。制作期間は足かけ約2年半でした。

社史の仕様・構成は…

社史は総頁数192頁です。あわせてDVDも制作しました。当初から総頁数を200頁くらいと決め、企業史は120頁程度とし、残りを商品史、技術史としました。2015年7月2日の創立記念日に発刊予定としました。編集上とりわけ大切にしたのは、竹鶴精神として受け継がれているパイオニア精神、それから本物にこだわる品質、自然環境への思いを伝えることです。そしてこういう会社でありたいという気持ちと価値観を共有し、これまで支えていただいた方々に感謝し、未来への行動の礎としたいという思いです。

構成は創業以来80年間を編年体で編纂しました。これまでも創業30年、50年に記念誌をつくりましたが、歴史を通して綴ったものはありませんでした。

記述範囲は創業前の竹鶴政孝の歴史も含め2014年12月末までの決算が出る期間を対象にした企業史と、当社を支えた主な商品を取り上げた商品史、さらに技術史として当社特有、固有の技術をまとめました。資料編として年表、各工場や関係会社の歴史や、受賞歴、商品の一覧、組織変遷を掲載しました。

編纂体制と経過について…

2013年2月、80周年事業施策案を経営会議に上程。2013年7月経営会議にて編纂体制が決定。8月サポート会社として凸版印刷にお願いし概要が決定しました。同年10月、編纂推進委員会が正式にスタートしました。

80年史編纂委員会は経営会議メンバーを中心にして構成されていました。ここでは80年史の編纂方針や、予算などを議論して決定します。実行部隊として80周年編纂推進委員があり、事務局は2名でスタート(後に4名)しました。編纂推進委員が資料収集や、原稿作成、スケジュール管理、凸版印刷さんとの窓口になりました。私は当初、編纂委員会の副委員長であり、編纂推進委員会の委員長という立場でした。その中に担当として企業史12名、商品史3名、技術史4名を配置し、スタートしました。

2014年3月に、編纂推進委員会の委員長は企画管理部長にお任せし、私は乗りかかった船ですので、編纂の作業を継続させていただくことになりました。

6月ごろ、商品史は、営業統括や技術者にライターの方からヒアリングをしていただきました。技術史や工場史、関係会社史はそれぞれの専門の工場、関係会社で書くようにし、事務局でまとめました。このころ前史から第7章くらいまでの原稿が次々と出来上がってきました。それらを見直し、加筆修正する作業が始まりました。

この原稿確認作業が事実確認や、「マッサン」のテレビの関係もあり、スケジュール通りに進みませんでした。発行日を遅らせることも検討しましたが、予定通り配りたいという意向が強く、体制を立て直し、2014年11月から2015年4月まで半年くらい、総務関係のOBに1名来ていただき、頑張ることになりました。

具体的な作業内容とポイントは…

2014年2月、数名のOBの方に来ていただき、ご意見をいただいたうえで、凸版印刷様とライターを交え、すり合わせをしながら仮目次の方向性を定めました。その後、どのような資料が使えるか、全体像を把握し、構成案を固めました。10月に編纂推進委員会がキックオフしましたが、主な方向性を固めてから編纂推進体制をつくったのが当社の特徴かと思います。

2015年1月から5月まで、原稿の確認と修正作業、レイアウト確認、写真選定などの編集作業に忙殺されました。写真の選定は非常に悔しい思いがあります。例えばG&Gのオーソン・ウェルズやハイニッカの草刈正雄、スーパーニッカでは、「オンブラ・マイ・フ」のキャスリーン・バトル、など話題になったCMがあるのですが、掲載の許諾をとる時間がなく早々に掲載をあきらめました。今思うと早めに許諾関係は動いておけばよかったと悔やまれます。ようやく5月末に最終校了になり、ご無理をお願いし1ヶ月で印刷をしていただきました。お陰様で予定通り7月2日配布することができました。全社員に配り、OB、グループ会社、取引先、全国の大学と図書館、約210ヶ所に研究資料として提供しました。

デジタル版は、社史を刊行して1~2ヶ月後につくる予定でしたが、これも無理をお願いし、7月2日に間に合わせました。元資料の情報検索等の細かい機能は今後のバージョンで上げていくことにしました。

刊行後、より多くの社員に見てもらおうと、当社のネットのeラーニングに「80年史クイズ」として掲示し、年史を見ながら挑戦していただく仕組みを作り、手軽に手に取って読んでもらえる工夫をしました。年史の活用面では、デジタル版の資料編をより充実し、どんどん付加していきたいと思います。それで業務の効率アップと活用を図っていけると思います。

編纂を終えての感想は…

編纂体制は商品史、技術史、工場・関係会社史はうまく機能しました。企業史部分は他のメンバーに頼むことも考えましたが、本編は事務局主導で進めるのが資料の散逸もなく、意見交換もでき、適切かと私は思い、7人で対応しました。結果的にかなり負担がかかってしまいましたが、逆に大人数で行っても資料が散逸するなど難しい面があったと思います。大変でしたが事務局中心で行ったのが正解だったかも知れません。

スケジュール面では、当初から年表は順調と考えたのですが、進めるうちに間違いを発見し、その確認に思いのほか時間がかかりました。余裕をみたスケジュールにすべきでした。このときの年表を改めて詳しいものにし、最終版を残しておく必要があると思っています。

取材している中でおもしろいと思った話や歴史秘話が見つかったのですが、短い調査期間で事実関係をはっきりできず、省略するという、もったいない事態も多くありました。今後のために、書面、文章で、あるいはデータで残しておく必要があると思います。

今回は歴代の経営トップでご存命の方々にインタビューを行いませんでした。当時どのような意思決定をしたのか、むしろ積極的にお聞きしておくべきでした。

校正面では、文章だけの段階のチェックはとかく見落としがちです。レイアウトされて気付くことや、写真と一緒になると文章はこうだとか出てくるもので、この段階の修正が多くなりました。表記方法の統一や表現の確認など、細かなチェックに手間取り、時間がかかってしまいました。

史資料整理、保管面では、重役会議の記録、写真、ポスター、音声データなど散逸した状態でした。特に昔の紙資料は酸化をしていましたので時間をかけて再整理し、保存を正しく行うことが必要だと思います。

編纂過程を振り返ると予想しなかったことや発見がありました。様々な思いの中でとても貴重な時間を持つことができたように思います。発刊後、社員からよりもむしろ、OBの方からお手紙やメールをたくさんいただきました。昔の自分のニッカ時代を振り返るいい機会になったとか、竹鶴社長の思い出や、若いころの自分を思い出し、思わず涙が出ましたとか、うれしいメールをいただきました。このようなOBからの感謝の言葉をいただくと、ほんとうに頑張って作り上げたかいがあったと思いました。

凸版印刷様には、社史編纂に大変お力添えをいただいたこと、改めて御礼申し上げます。