日立キャピタル50年の記録

日立キャピタル株式会社人事教育部主幹 創立50周年準備室副室長 嶋口司さんの体験談をうかがいました。

社史制作の目的とかかった時間は…

創立以来一貫して流れる精神と理念、これを紙にまとめて再認識してもらうことにより、社員の意識の向上に役立てよう、というのがまずありました。それから、先輩たちの培ってきたビジネス体験を社史発刊によって共有のものとし、次の50年も成長を続けていく、ということも考えました。

創立50周年準備室ができたのが2005年の10月、社史の発行は2007年の11月ですから、丸2年かかったことになります。本当は創立記念日の9月10日に出す方針だったのですが、2カ月遅れてしまいました。制作期間はやはり3年ぐらいあったほうが、実感としてよいのではないかと思います。

会社概要をお聞かせください…

日立製作所のグループ会社の日立リースと日立クレジットが合併してできた会社で、ファイナンス部門を扱っています。創立は1957年で、従業員は約3,500人。国内の営業網は北海道から沖縄まで、全国を網羅しています。経営理念は、「持続的成長、人間尊重、企業倫理の実践」。経営方針としては、「個人の尊厳や個性を大切に」「物にこだわった金融サービスを提供する」「お客様と地域に密着したサービス」などを掲げています。

企業、農家、医療機関、官公庁などに、産業機器、建設機械、医療機器、農業機器といったもののリース・レンタル・信用保証などを行う一方、一般消費者向けには、自動車・家電・リフォーム・住宅などの生活をサポートするようなリース・信用保証その他の金融サービスをしています。もうひとつは、金融サービスに付帯するカード・損害保険・証券化などの事業です。

会社の沿革は…

創業した1950年代に経営基盤を確立し、60年代には国内の関連会社とのネットワークを築いて支払い方法を多様化しました。70年代には国際ネットワークをつくり、一部上場を果たします。80年代には資金の調達・多様化を行い、コーポレートアイデンティティ(CI)もつくりました。社債の信用格付けを受け、もう少し会社の格を上げていこうという発想からです。さらに90年代には、グローバルスタンダード経営やサーベイ品質など、社会貢献の分野に手を広げました。そして2000年、日立リースと日立クレジットが合併し、現在の日立キャピタルが生まれました。

社史の仕様・構成は…

はじめは日立クレジット、日立リース、日立キャピタルそれぞれの歴史を別々に、いわゆる正史方式で順に述べていく3部構成を考えていました。しかしけっきょく、3社をひとつの会社と見なし、1957年の創立から2007年の50周年までを通史として編年方式で記し、写真や図版も多用して見やすいものをつくることにしました。また各時代の末尾にはコラム欄を設け、年表に拾いきれなかった話を載せました。さらに、編年方式だけでは流れはなかなかつかめないということで、テーマ編を設けることにして、最終的には沿革編、テーマ編、未来編、グループ会社編、資料編の5部構成となりました。未来編では、新旧の社長・副社長と会社の今後を担う社員との座談会も企画しています。

サイズはA4判です。だいたい横書きで、写真は白黒主体。一部にカラーも使い、ページ数については400台になるとちょっと読んでもらえないだろうということで300ページ台にしました。使いやすさを重視し、ハードカバーではなくビニールカバーにしました。ケースもありません。

編纂体制と経過について…

創立50周年準備室ができたのは、2005年の10月です。私はそこに配属され、社史担当の候補者を一所懸命探していました。ところがその年の12月になっても適当な人が見つからず、しまいにはお前がやれということで、もともと社内報などを担当していた私が50周年の記念行事の準備と兼ねて編集長役をやることになってしまいました。

準備にはそうとうな時間がかかります。執筆の実務作業については、凸版の契約社員の方に1人常駐をしてもらいました。また凸版側のチームにも1人ライターさんを置いてもらい、こちらが提供した資料をもとに執筆をお願いしました。

文章についてはすでに述べたように、最初はオーソドックスないわゆる正史方式でやっていました。しかし、ちょうど10カ月ほどたった時点で創立当初からいる会長(現特別顧問)に見せたところ、「こんなのではだれも読まない」とダメ出しをされてしまいました。「何かもっと特徴的なものにしろ」と言うのです。そこで、中身を年表方式にあらため、索引なども手軽に使えるものにするという提案をして、ようやくOKをもらいました。

その一方、途中からいろいろな人に手伝ってもらっていたのですが、実務作業をしてくれるような人は社内にはなかなかいません。そこで2006年の10月からは、社の昔のことをよく知っていてかつ実務もやってもらえる非役職経験者のOBに1人、専任のパートとして入ってもらいました。

また50周年準備室のメンバーも、そのままスライドして協力してくれました。全部で15~16人ほどいる本社の各部署と営業本部の総部長も、編集協力委員として資料集めなどをしてくれました。この人たちは言わないとなかなか協力してくれませんが、言えば絶大な協力を得られるので、使いようかなと思います。あと元役員や関連会社の社長などにも、それぞれの合併会社から3カ月に1回くらい、2~3人ずつ来てもらい、進行の件についてアドバイスをしてもらいました。

創立記念の式典がある2007年9月10日の発刊を目指していたのですが、実際には完成は約2カ月遅れ、11月となりました。ただし見本は式典のちょうど1カ月前の8月10日にでき上がり、なんとか間に合いました。

具体的な作業内容とポイントは…

基本的な考え方、コンセプト、それから編集目的、これらがひじょうに重要で、何か迷ったときにはいつでもそこに戻って、基本に外れているか、あるいは合致しているか、という点に照らして作業を進めました。

合併については意見を言う人がたくさんいて、両社の記述のバランスをとるのにとても苦労しました。社史の形態なども、このバランスをとるうえでひじょうに重要な意味を持ちます。そのへんでケンカをしたということはけっこうありました。社史も片や30年史までつくっていて片や25年しかないとか、ある時期の記述が片方にはまったくないとか、そういう違いもありました。ただ社史自体はどちらも現物が残っているので、双方を見くらべて事柄をピックアップしていって、この案ではどうだという形でやりました。こういうときも、コンセプトや編集目的をしっかり持つことが大切だと痛感しました。

他社の社史をよく見ると、レイアウトや資料といったものを決めるときにひじょうに役立ちます。うちの場合は年史方式ということで、三越の記録が参考になりました。他社の社史にはヒントが出ていますから、それを手がかりにするのも大切なことではないかと思います。

編纂を終えての感想は…

OBを取り込むというのは、やはりいいのではないかと思います。役員をやった人たちというのは、大きな流れは外しません。これは教訓です。

反省点としては、検索機能の不足が挙げられます。10年後、20年後に見たときに意味がわからなくなるおそれのある、いわゆる社内用語、業界用語も索引で拾おうと思ったのですが、諸般の事情であきらめました。ひじょうに残念なことでした。

あとは役員の基準です。役員の名前をどういうふうに出すかという基準。これはしっかり決めたほうがいい。そうでないと、社史を出したあと、自分の名前が出ていないというクレームがだれかからつくということになりかねません。