夢の50年史 高級化粧品アルビオンの歩み

アルビオン株式会社 元『夢の50年史』編纂事務局執筆担当 米田繁男さんの体験談をうかがいました。

社史制作の目的とかかった時間は…

弊社が平成18年に創立50周年を迎えるにあたり、その記念事業の一環として作ることが平成15年に経営判断で決まりました。

当初は3年で出すという計画でしたが、結果的には3年半かかり、平成19年の1月に刊行されました。

会社概要をお聞かせください…

化粧品会社です。といっても、そんなにマスコミ宣伝をしているわけではありませんので、ご存じない方も多いかと思います。たいへん小さな会社ですが、扱うのは高級化粧品専門で、昭和31年の創業以来、(頑固に)この方針を貫いています。いわゆる総合メーカー、マスメーカーではありません。ちょっと変わった会社です。

年商は470億。従業員は2,900人、うち女性が7割くらいです。取引先は、百貨店や全国の化粧品店を含めて現在2,000店。実は10年前は3,000~3,300店ほどだったのですが、絞り込んで減らし、売上は逆に伸ばしています。

会社の沿革は…

親会社にあたる小林コーセー(現コーセー)を創業した故小林孝三郎が、同社の創業10年目に、かねてから抱いていたお客様があこがれてやまないような高級化粧品を作りたいという夢、それと、高級品の付加価値を他の一流メーカーと高めあって理想の制度品(問屋を介さず、販売店と直接取り引きする品)を作りたいという夢、この二つの夢を実現したくて会社を起こしたといわれています。

そして、当社創業の昭和31年に入社した孝三郎の次男の英夫が父の志を継ぎ、高級品専門、理想の制度品の追求、というやり方を今日にいたるまでかたくなに守りながら、ずっと会社の舵取りをしてきました。

社史の仕様・構成は…

まず大きな方針として、50周年の記念誌なのだから、50年間の行事をすべて収録したものを作ることにしました。創立50周年の記念日に発行してしまうと49年分の歴史しか収められないのでそれは避け、刊行時期を記念日よりあとの平成18年末として、50年の出来事を本当にもれなく盛り込めるようにしました。

もう一つは、いわゆる会社の歴史の記憶としての正史、それはそれで作るけれども、実質的な創業者でもある社長自身にこれまでたどってきた足跡を振り返ってもらい、その施策や体験や語録をまとめて、ちょっと小型で読本的な感じの分冊も作ろうと。記録としての正史版と、オーナー社長に語りたいことを語ってもらう通称「メッセージ版」、この2冊を同時に作ることにしたのです。

正史の方は最終的に、全7章44節122項の構成となりました。メッセージ版は全従業員に配布しました。

編纂体制と経過について…

社史作りをスタートさせたのは平成15年10月です。各部門から1~2名ずつ代表を出して総勢20人ほど(最後までがんばってくれたのは、5~6人かと思いますが)の編纂委員会が立ち上げられました。

本史の執筆作業に関しては、最初は会社をすでに退職した人物が一人で基礎年表作りをしていました。私は平成8年に定年退職しまして、事情があって参加したのは平成16年の2月からです。二人とも過去に偶然社長のそばで仕事をさせていただき、文章も多少は書けるだろうということで執筆を任されました。メッセージ版については、内輪の馴れ合いにならないよう、凸版さんにお願いして、新鮮な気持ちでイチから携われる外部のライターの方を紹介してもらいました。プロデュースは、社史の編纂事務局長を務める現役の経営企画担当の者が行いました。

本文の脱稿までに約2年かかっています。現会長とは1回2時間のミーティングを毎月3回、延べ150時間ほど行いました。外部のライターの方による取材も、都合20時間ほど行われたかと思います。その後も文の修正や写真・口絵の手配などいろいろな作業があり、全部含めて最終的にでき上がるまでに、プラス1年半を要しました。

具体的な作業内容とポイントは…

まず基礎年表を作ります。このときにはできるだけいろいろな事項を、1年1年細かく書きこんでいかなければなりません。

実はある先輩が定年退職の置き土産としてひそかに、何年に何があったかを記した「アルビオン年表」というものを残してくれていて、基礎年表を作るときにそれが大変役立ちました。また編纂委員会発足の5~6年前に、いずれ社史を作ることになるかもしれないということで、社内で気の付いた資料は集めてありました。基礎年表作りはこれらのデータをもとに、事実確認を行いながら進めました。

基礎年表のフォームについては、各部門を縦軸にとり、B4判1枚を1年として、各部門でその年にあった出来事をとにかく何でも書きこんでいきました。加えて、編纂委員になった部門ごとの代表の人たちにも、それぞれの部門の昔をたどり、あったことを全部書きこんでもらいました。

次に、書きこんだ歴史的事項をそれぞれABCでランク付けしました。基準は協議によって決め、ABランクのものだけをピックアップし、それだけでもう一度年表を作りなおしました。年表の内容があまり細かすぎると、文章を書く立場の人間がそれを見ても、全体像が浮かんでこなくなってしまうからです。この作りなおしたいわゆる「粗年表」もサイズはB4判で、やはり部門別に縦軸をとり、横軸は1枚に5年分をとりました。50年ですから、量は10枚になります。それを全部のりで貼りつけ、巻物のようにして熟読・精読しました。すると、自然に会社の50年の歴史の中での大きな山やうねり、経営危機とか、大成功とか、何か大きなストーリーが目に浮かんでくる。そういう感じがしました。

こうしてアルビオンという会社全体のストーリーが目に見えてきたところで、仮目次を作りました。正史のほうは文章が先にあるのではなく、まずは目次ありき、という感じで出発したのです。50年という歴史をどのように区分するのか──目次でいえば、それは第1章、第2章、第3章…というようなものだと思います。そこで、執筆担当の者とプロデューサーが粗年表を見ながら、第1章は創業からの5年で一区切りだとか、第2章はそれ以降の、今度は10年間を取り上げようとか、そんなぐあいに時代を区切っていきました。

逐一編年体で時系列に沿って書いてゆけるほどの資料はなかったので、それぞれの時代の特徴を表す言葉をテーマに取り上げ、場合によっては時系列を多少変更して書く。そんなテーマ別方式、あるいはそれと時系列方式の併用というか、そういうスタイルで行くことにしました。第1章は何々、第2章は何々、というふうにテーマの題目を目次にあてはめていったのです。さらに章の次には節、節の次には項を同じようにして立てました。

いよいよ、本文執筆です。大変しんどい作業です。1日パソコンとにらめっこして5行しか書けなかった、ということはザラにあります。1日5行しか書けないのに賃金をもらって、「これでいいのかな」と途中で投げ出したくなったことも何回もあります。考え考え考え抜いて、その時代のことを思い起こしてやっていくうちに、「これだな、これしかない」というものが出てきて、何とか文章を書き続けられたというふうに思います。

メッセージ版のほうは、外部のライターの方に、われわれの書いた正史の生原稿をできるたびに読んでもらったうえで、わからない点についてどんどん社長(=当時)に質問してもらいました。社長も、できる限り、正確な想いを伝えたいと、一所懸命思い出して話をしてくれたようです。自分を開いてあれだけいろいろな話をするというのも、こんな機会がなければなかったのではないかと思います。

編纂を終えての感想は…

50年間にあった記念行事を全部入れようと最初に決めたのは、ある意味で正解でした。トップが経営者としてたどった道を振り返る、それも、こういう社史を作るときでなければできなかったと思います。

メッセージ版の内容まで正史のほうに含めますと、個人の伝記みたいな社史になってしまいますので、それをうまく分けたのもよかったかなと思っています。

表紙ができ上がる段階になると、本当に社史をやっていてよかったと、この喜びは何ごとにも変えがたいものになります。50周年の記念行事と50年の社史とのあいだにいわば相乗効果が働いて、それぞれが価値の高まりを見せたのではないか、と自画自賛をしています。社史を作ってよかったと思います。