会社史に託す夢 -私的会社史論- 第1回 現代社会の文化的遺産 東京大学大学院経済学研究科 教授 武田晴人

はじめに

自己紹介から始めましょう。
私は、東京大学経済学部・大学院経済学研究科で日本経済史を担当しています。日本経済史という研究分野は、文字通り、日本の経済の歴史を研究するという分野ですが、そういう関心から、社史・年史にこれまでも関わりを持ってきました。関係した社史は次の通りです。

経済団体連合会(30年史、50年史)、日本ゼオン(1970年代の日本ゼオン)、小野田セメント(100年史)、日本IBM(情報処理産業表)、古河電工(100年史)、早川運輸(110年史)、中部電力(中部地方電気事業史)、山九(75年史)、花王(花王史100年)、日本開発銀行、四国電力(50年のあゆみ)、太平工業(未来のための年代記 : 太平工業の50年)、凸版印刷(凸版百年)、富士電機(富士電機社史)、日新火災海上(80年史稿本)、通商産業政策史、トヨタグループ史

そういう経験を踏まえて、TOPPAN株式会社が主催する年史・社史実務セミナーで「年史・社史づくりの楽しみ」というお話もしてきています。限られた講演の時間では話しきれない話題を、このコラムでは数回にわたってお話ししたいと思います。学者・研究者の立場から見た、「会社史とはどうあるべきか」、「年史とはこうあるべきだ」を講義するつもりはありません。むしろ、社史の仕事に私がどんな夢を託しているかをお話ししたいと思います。そして、それが、社史の編纂の意義を考えようとする人たちに参考になれば、と願っています。

ミクロの視点としての社史と経済史

前口上はこれくらいにして、本題に入りましょう。
このコラムを読む方は、多少とも年史・社史(以下、単に社史と略す)に関心がある方だと思いますが、社史、つまり会社という組織の歴史がいわばミクロの視点だとすると、私の専門の日本経済史という学問は、マクロの視点で経済の歴史を考えるものです。
これは経済の全体を語るうえで、相補う重要な2つの視点です。

最近では、経済学の分野でも企業の理論を中心とするミクロ経済学が、歴史研究でも企業史研究が、極めて盛んになっており、発表される論文も圧倒的に企業に関わるものになっています。
その理由は、企業という組織が経済活動に果たす役割がますます重要になってきていることと、これに関する学問分野での分析ツールが開発されてきたことにあります。かつて、経済学でも経済史学でも、経済社会全体の構造を議論することに中心的な課題が置かれ、そこに研究の関心も集まっていました。ケインズの経済学はその一つの象徴ですし、マルクス経済学の分野も階級とか構造とかを多用していました。そうした研究の多くは、企業の内部構造にまで、議論を展開することがなかったところに特徴があります。
これに対して、契約の理論や取引コストの理論などの発展が新しい研究を生み出しましたが、そこでは企業そのものが分析対象になります。いまでは、コーポレートガバナンスという言葉を、多くの人たちは知っていますが、こうした考え方はちょっと前までの経済学の教科書には書かれていなかったものです。

理論と現実

こうした研究の発展については、別の機会に詳しくお話しすることにしますが、そうした現在の活発な企業に関する議論には、大きな問題があります。それは、理論的な道具が演繹的に開発されていく一方で、事実あるいは実態についての情報が決定的に不足している、ということです。

そんなことはないと思われるかも知れません。確かに、アメリカ流のビジネススクールでは、たくさんのケーススタディが紹介され、あるいは毎日の新聞にもたくさんの企業の情報が溢れんばかりにあります。しかし、それらから得られる情報は、表面的な観察に止まり、誤りを含んでいることもまれではありません。そのために、理論家たちの提言は、しばしば空回りし、現実によって裏切られていくことになります。最近の議論では、従業員の処遇に関する「成果主義」がそのよい例です。確かに、理論的に考えれば、成果に即した処遇は望ましい側面が大きいものですが、それは、誰がどのようにして成果を測るのか、それは日本の雇用慣行にどのように適応することができるのかという方法論を欠いています。具体的な提案が書けないから失敗することが多いし、それは具体的に書くための予備知識が不足しているからです。専門家の助言もよくよく聞き分けてみると、隣の家の成功例にすぎず、自分の家に合うかどうか分かりません。

そんなことは当たり前のことです。広い意味で管理の技術というように捉えれば、そうした技術導入に多くの困難が伴うことは、経験的にはよく知られています。設備に関する、つまりハードな技術でも「日本に適用」するのには、超えなければならないハードルがたくさんありました。まして、人間的な要素が関わるソフトの技術に属する管理の技術では一層そうした困難は大きくなります。
よい意味で、そうした困難を克服していくためには、実証的な研究によって実態についての情報を蓄積していく、「産学協同」が必要になります。

協同の場を提供する社史

社史を作ることは、これまでお話ししてきたような問題の解決には、とても重要な貢献をすることになります。
もちろん、私は、年史・社史の持っている多様な可能性を学問的な関心という枠に閉じこめることはできないと思っています。だから、例えばヨーロッパなどでは、専門的な歴史家に執筆を依頼した社史が、年に数冊出版されており、日本の経営史学者のなかにも、そういう会社史を作りたいという意見があることも知っています。これも大切な考え方だと思います。
しかし、ここで強調したいのは、もう少し広い視野で考えた場合、企業が良質の情報を学術研究の基礎的な情報として提供することの大切さです。質の良い情報に基づいた研究活動は、必ず適切な助言となってフィードバックされてくるものです。学者の議論が役に立たないとすれば、それは学者の側の問題でもありますが、十分な情報発信なしに、情報の受信だけを考えている側にも問題があるのです。
おそらく、こうした意見に対しては、それなら「現在」についての情報こそが重要で、何も歴史的にさかのぼるような手間は必要ないのでは、と考えられるかも知れません。確かに、企業が必要としている助言は、現在直面している問題についてですから、これには一理あります。

しかし、なぜ「隣の家」のケースがあまり役に立たない情報なのかを考えると、歴史的な文脈で「現在」を語ることの意味が分かるはずです。それぞれの組織は、それぞれ固有の歴史をもっており、そこからさまざまな恩恵も蒙っていますし、制約も受けています。従って、そうした文脈を無視すると、しっぺ返しを受けることになります。だから、歴史の視点も役に立つはずです。

文化的遺産としての社史

初めにも強調したように、現代ではあらゆる経済的・社会的な活動の中心に企業があります。現代の社会は企業を中心に作られた社会です。だから、これまでお話ししてきたように、社史編纂は学問的にも大きな価値があるばかりでなく、企業が現代社会のなかで果たすべき社会的貢献としても重要なものです。
後世の人たちがもしわれわれの時代を知ろうと思ったら、まず最初に分析して歴史的に明らかにしなければならないのは、企業はどういう活動をしたか、どういう役割をこの社会のなかで果たしたかです。つまり、現代が企業で特徴づけられるとすれば、企業の活動こそが現代社会を明らかにする鍵になります。
その意味で、企業の時代の記録としての社史は、我々の時代の「文化的な遺産」です。社史編纂は、1冊の本を作れば終わるという面があります。しかし、もう少し広い目で見てみると、この仕事は、現代の日本社会を後世に伝える仕事です。企業の記録を除いて現代社会の分析は考えられない。企業の記録があれば、現代社会の重要な特徴を次の時代の人たちに伝えることはできる。社史を作ることは、私たちが私たちの時代を次の時代へ、自分たちの子供の時代、あるいは孫の時代、さらに曾孫の時代に記録として伝えるという意味でとても重要なことです。

例えば縄文時代の遺跡が残っていて、その遺跡が発掘されることで、私たちは縄文の時代を知ることができます。遺跡はタイムカプセルのように時間を超えて、その時代の生き生きとした姿を教えてくれます。それと同じように、タイプカプセルに詰めて私たちの時代の記録として残す文化的な遺産があるとすれば、企業活動の歴史だと思います。社史に関わることは、そうした文化を後に遺す仕事に参加するチャンスを与えられたと、私は考えています。これが社史に私が夢を託す理由です。