TOPPAN 凸版印刷株式会社

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デザイントーク in TOPPAN Vol.26 「GRAPHIC TRIAL 2019 -Exciting-」田唯×ウチダゴウ 2019.06.29

会期もいよいよ後半となった6月29日、グラフィックトライアル参加クリエイターの田唯さんと詩人のウチダゴウさんによるトークイベントが催されました。今回、田さんの作品のために詩を書き下したウチダさんは、詩作とグラフィックデザインを安曇野の森を拠点に展開する、大変ユニークな人物です。
このトークイベントでは、今回の詩作を巡るお話とともにウチダさんの日々の活動を中心に、デザインと言葉を巡って楽しく真剣に語りあっていただきました。

●楽しさ、面白さを色と詩で

今日は、デザインと印刷のことだけでなく、言葉の仕事をされているゴウさんに色々お話を伺ってみたいと思います。では、まずはグラフィックトライアルのお話から。
今回、僕はずっと追いかけてきた光のRGBのB(ブルー)にトライアルしました。以前、インキ会社にお願いして活版印刷用の特練りのブルーを作ってもらったことがあります。とっても綺麗なブルーでしたが、やっぱり光のブルーとは程遠いものでした。そこで、このトライアルの機会にもう一回あのブルーを追求できないかなと思ったわけです。その結果、インキ自体が発光しているわけではありませんが、ブラックライトの力を借りて僕が目指したブルーを再現することができました。
ただ、デザインするにあたっては、この面白さを表すには色だけではどこか物足りないという思いがすごくありました。もともと僕は人とコラボレーションすることが大好きだということもあり、今回もできればそういうことをしてみたいと考えていた時、ちょうどゴウさんと池袋でご飯をご一緒する機会があったんです。「そうだ、言葉がいい」「詩だ!」「ゴウさんがいい」とピンと来たんです。
ブラックライトを当てた時に詩が出てくれば、色のほかにもう一つ引っ掛かりを作ることができる。しかも平仮名の詩なら、切り方が難しく読みにくいので、さらに引っ掛かりができ長く楽しんでもらうには相応しい。それに子どもだって読める。もう「これしかないな」と、ポスターが5枚あるので5つ詩を書き下ろしてもらえますかとゴウさんにお願いしたんです。
ウチダ
あの時はもうこのデザインはできていたっけ?
ほぼこんな感じのものはあったと思いますよ。それに今回は僕の好きなお花の抽象的な絵をグラフィックにしたかったので、「お花を描くよ」と言ったとは思います。だからといってゴウさんにお花の詩を書いて欲しいわけではなく、子どもも大人もちょっと引っかかったり刺さったりするような、妙な気分になって帰ってもらえるものがいいなというような話をしたような気がします。ブラックライト自体もちょっと怪しげな光で異世界のような妙な感じがあるので、詩は割と現実味があるほうがいいと。
ウチダ
たしか、「きついヤツを書いて」と。読んだ人がちょっと傷つくような。子どもはキャッキャと読んでいるのに、親は「まずいなあ」と思っちゃうようなものがいいと。それで「どれくらい傷ついていいんですか?」と尋ねたら「けっこう大丈夫です」って。
「傷つくヤツがいい」なんて、そんなこと言いましたっけ? よく覚えてないんですけれど。
ウチダ
それで「あまり遠慮がちなのもよくないな」と思って、傷つくけどどこかに愛を感じるようなものにしようと考えました。唯君なら受け取ってくれるだろうと思い、とりあえず思い切り投げてみたんです。ダメだったら直せばいいや、と思ったし。
展示を見てどう思いました? 自分の詩がデザイナーに使われているのを見て。
ウチダ
単純に、お客さんとして見ているという感じかな。光を当てた時は純粋に楽しかったですね。前もって「ブラックライトを当てたら何か出る」と言われていたので出るとは分かっていたけれど、それでも「おお~、出るじゃん!」「俺が書いたやつだ!」「いい詩だなあ~」って。
これなら子どもも大人も多分シンプルに楽しいだろうと思って。「楽しい」というものは子どもの頃からあまり変わってない気もするし、最近の僕は子どもっぽくなることが多いというか、童心に帰ってデザインすることが増えているようなところもあるし。もちろん考えてやってはいるけれど、結局は動物的にデザインすることが多いような気がしています。それに考えすぎるとデザインも考えすぎたものになるので、この作品ではそんなに考えずに「ああ、楽しい!」と思って観てもらうものにしたいと思ったんです。「どうやったのか」はむしろ後まわしにしようと。
ウチダ
印刷技術云々の話に感動するのも大事だけれど、それ以前にやっぱり、ね。
そう、まずはそっちですよね。まずは「わあ、印刷すげえ!」と思ってほしい。そのほうが印刷だって幸せなんじゃないのかな。頭ですごいと思いながら見られるよりも。もちろんマニアックなこともたくさんあるし、プリンティングディレクターがついて何度も実験を重ねてつくっているけれど、結局は最初に「あ、いい」「きれいだね」と思わせたいというのがありますね。

ここで、当トークイベントのスペシャル企画が実現。会場が暗転すると同時に、田作品がブラックライトを浴びて浮かび上がったのです。その鮮やかな色彩にどよめきとともに拍手が沸き起こりました。完全な暗闇で作品を見てほしいという田さんの希望で実現したつかの間の鑑賞会は、来場者への思わぬプレゼントとなりました。

●「おっ!」と思えるものに出会いたい

2018年5月、ウチダさんが安曇野の森に小さなギャラリーがある一軒家を建てて移住した時、彼の活動「してきなしごと」のロゴ制作を田さんに依頼。実は二人の親交はそこから一気に高まったようです。ギャラリーのオープン企画で、田さんは自身のこれまでのデザインを言葉で整理するという展示を行いました。

僕は正直、それほど本は読まないし、SNSでちょっと気になった本を読むとか、生活のなかでグッときた言葉を拾う程度です。でも言葉は好きで、5,6年前にゴウさんと知り合ったことで初めてちゃんと詩と向き合えるようになった気がしています。特に、時々ゴウさんから届くメールレターがまたすごくいいんですね。朝、会社に行ってメールを確認しているとポコッと混ざっていて。「お~い」と安曇野の森から声が聞こえてくるようで、ちょっとほっとするんですね。あの心地いい時間は本当に特別なものになっていて、僕はいつも楽しみにしているんですよ。ゴウさんは「してきなしごと」という名前で活動しているので、ぜひ検索してみてください。実はロゴはゴウさんから依頼を受けて僕が作りました。でもゴウさんはデザイナーなのだから、普通なら自分で作るんじゃないですか?
ウチダ
2010年に「してきなしごと」の活動を始めた時は自分で作ったんですよ。でも、松本から安曇野に移り住もうと決めた直前にちょっと変わってきたと思うことがあって。それまでは詩とデザインを両輪としていたのが、詩を真中にして、その表現として詩とデザインがあるという感覚に変わったんですね。それで場所も変えるしロゴも変え時だと思って。自分でやることはまったく考えていなかったですね。
でもなぜ僕だったんですか?
ウチダ
つながりがそれほどあったわけではないけれど仕事は見ていて、この人は一人で壁に向かって真直に投げている感じがすると思っていたんです。王道にいたくないから変化球を投げているのではなく、世の中的にはそこが的ではないのに、そこにずっと投げ続けているような感じで、しかもそれが直球なんです。「やばいな、この人は」「ヘンな人だ」と思ったし、僕が詩でやっていることと匂いが一緒だと思えた。家を建てて移住するなんて大きな博打を打とうという時だったし、これはこの人に頼むタイミングだなと思ったんですよ。やっぱり楽しみたいからね。どんなものが出てくるか見たかったしね。
「楽しみたい」というのはすごく分かります。僕が詩をお願いした時も同じ感じでした。どういう球を投げるか想像はしていても、さすがに内容までは読めないし、言葉で来ることだけしかわからない。とにかく「おお〜っ!」と思えるものに出会いたくて。いろいろな人と一緒に何かやることでワクワクしたい、自分が感動したいから。
ウチダ
それ、いちばん大事なところだよね。誰かに預けるというリスクも楽しいし。でも実際、期待以上のものが上がってきて。
で、僕は詩の「目には見えないけれど心が揺れて作用するような力」をぎりぎり平仮名の「し」に見えるようにデザインしました。細い布が少しだけ風にそよいでいて、でも真中に真直ぐ筋が通っているというイメージです。紙をカッターで何度も何度も切って美しいフォルムを見つけ出して、長いのや短いの等、4種類のロゴを納品しました。あの時、ゴウさんはニヤニヤしていましたけど、どう思ったんですか?
ウチダ
来たな〜、使いづらいな〜、これをどうやってレイアウトすればいいんだろう、って。でも、喧嘩を売られたらちゃんとそれを買わなきゃいけない。「そう来たらこうやるよ」ってね。
そうそう、それを見て、今度はこっちが「こう使ったか」とニヤニヤして。僕たちはそういうキャッチボールをしていますよね。

●大事なのは何でもないいつもの日々

後半はウチダさんの活動を中心に、デザインと言葉を巡る対話に。ウチダさんのデザイナー活動には、ブックデザインも多々あります。用紙や装幀にさまざまな思いや意味を込めたユニークなデザインを紹介しながら、ウチダさんの詩作と日常へと話が進みました。

普通は詩集と言えば明朝体で行間や余白をなるべくとって、字間も心地よく空けるというイメージですが、ゴウさんは大きな明朝体を使ったり、カタカナや漢字や平仮名で違うフォントを使ったりと、遊び心のような要素がありますよね。「そうじゃなくてもいいんじゃないの?」と、いつもちょっと小さく怒っているような感じを受けます。それから展示では香水と詩を絡めたり、パン屋さんとの仕事にも詩を絡めたりと、じわじわと詩を日常にちょっとだけ忍ばせていこうという試みを感じるのですが、それって作戦なんですか?
ウチダ
僕は大学も法学部だったから詩のことはまったく勉強していないし、詩の王道の世界とはやりたいこともちょっと違っているんです。そもそも最初から目標は「詩で生計を立てる」こと。それで自分なりにマーケットを作ろうと、最初は友達に「詩、書けるよ」「なんかない?」と声かけて。友達が結婚してお祝いを送りたいときに「詩をオーダーしてさ、送ったらカッコいいよ。…書けるよ、どう?」とか。
お花も嬉しいけれど、詩もきっと嬉しいでしょうね。詩をお願いできる人がいるといいですよね。ゴウさんの詩のようなものが生活の中にポコッとあると、何かの時に「あ!」と思ってちょっと戻れたりする作用があるように思います。やっぱりお花に近いのかな、季節を持ち込んだりできるし、その日の気持ちで解釈も変わってくるから生き物のようでもあるし。でも、詩は枯れないからもっと強いものかもしれない。
 ところで、デザインの場合は色や形や視覚的なことから考えているわけですが、詩人はどんなところから言葉をすくい上げているんですか? どこからどうやって言葉を抽出するのか、あるいは言葉とはどんな距離感で接しているのか。
ウチダ
僕の目標は詩で生計を立てることで、仕事があるから書くのであって普段は書きません。普段は歩いているだけ、何にも考えないし、いいフレーズを思いついてもメモもしない。今は空っぽでいることに力を割いているという感じですね。
空っぽにする?
ウチダ
たとえば今、雑誌『nice things.』の連載で淡々と日々を綴っているんですが、いつも最初は「今月はこのことを書こう」と思って書き出すのに、途中から詩が僕より先行し始めるんです。
「僕」が思っていないことが現れてくるということですか?
ウチダ
そう。先月、うちのギャラリーで、詩と香りの企画展を開催していたのだけれど、そこに寄せた詩のひとつに、「ねっこ」という詩がありました。たとえば、その詩では、1連目と2連目は僕が庭で植物を植えようと固い地盤をつるはしで2~3時間格闘するという話を書いていたはずなのに、突然、3連目の1行目に「おとうさんはおばさんがくるとこまったかおをする」と出てくる。それは僕ではなくて詩が言い始めたことなんです。
え?
ウチダ
「おい、なんだって?」と僕が聞く。詩は「いや、実はおばさんはいつの間にかやってきてそれっきりだって話なんだ」と言う。それで進んでいって、「あたし、根無し草なの」と詩が言ったとき、僕は「ああ~、そうやって回収するのか、ほぉ〜」と頷く、というわけ。
でもゴウさん、自分で書いているんですよね?
ウチダ
書いているのは僕だけれど、詩が映像や感情のような言葉ではないものを使って、物語を語り始めるんです。それを僕は読む人たちに届くように言葉に書くわけです。「私」じゃなくて「あたし」のほうが伝わるとか、「おじさん」よりも「おばさん」のほうが伝えたいイメージが伝わるかな、とか。僕には読み手がいてお金をもらうというゴールがあるので、読む価値があるものにする編集をする。
翻訳するということ?
ウチダ
だからいつも自分を空っぽにしておいて、詩が勝手に始められるようにしておくんです。ふだんは言葉も追わない。書いている最中より書く前の、なんでもなく過ごしている時間が大事なんですよ。「詩人だから」とか「なにか詩を書かなきゃいけないから」とか「森に暮らしている詩人だからそれっぽくしなきゃ」とか、そういうのは全然なくて。締め切りもあんまり覚えていないけれど、その時期になると「そろそろ詩を書かなきゃいけなかった気がするな、じゃあ、書こう」となる。その時、どこかのタイミングでスイッチが入るんです。
面白いですねえ。実は空っぽにしておくことでものすごい吸収をしているのかもしれませんね。
ウチダ
たとえば森を歩いていて、木漏れ日がキラキラしているのをその場で言葉にするとだめなんです。それそのものを覚えておくと、書くときにそれがわっと出てくる感じなんですね。パソコンの前で「木漏れ日、こういう感じだったな。なんていうんだっけ、コレ」と、その世界といちばん近い言葉を探していく。
別の言い方をしたいわけではなくて、ゴウさんが思うふさわしいワードを紡ぎだすということですね。

●スコットランドが勇気をくれた

さらに話題は、お互いの表現の話へ。詩とデザイン、表現の仕方やヒントの見出し方は違っても、そこにある思いには確かに通じるものがあるようです。

なるほど。僕の場合はグラフィックデザインがすごく好きだし、グラフィックデザインのために生きている部分があっていつもヒントを探していますね。でもそれが全然苦じゃないし、目に飛び込んできたり、感覚的に感じたりしたものがすべて生きてきたので、いつも「デザインのために」みたいなことを考えてしまっているかもしれません。
ウチダ
でもブロック塀の通気口を探している時の唯君の目は、デザインのためにブロック塀を探そうというのではなく、単純にもう「あっ!」って吸い寄せられていく虫みたいな感じですよね。
お花に引き寄せられる虫みたいに? そうですね。そういえば何度もそういう姿をゴウさんに見せているかも。
ウチダ
あれってデザインのために写真を撮っておこうというより、単純に寄って行く感じがするけれど。興奮しているさまを何度も見ましたよ。
そうですね、「見つけちゃった、わ〜」って感じですよね。珍しいかたちを見つけると無言でスタスタ行っちゃって。だって、長野にはブロック塀の新種が多いんですよ。そうですね、デザインのことを考えているのかいないのか、でもそういうところで生きている感じですね。常に何かを見つけよう、追いかけようとしていて、もう病気に近いかもしれない。
ウチダ
そういえば若い時にある人に「詩人というのは職業じゃなくて生き方だ」と言われたことがあって。その時はただ「うるせえな」と思っただけだったけれど、4~5年前にスコットランドに行くようになってから、「ああ、そういうことか」「生きていればいいんだな」と思えるようになったんです。それそのものであり続ける覚悟があればいいんだ、って。
僕は言葉で詩を書いているけれど、絵筆をとれば画家だし、フィルムを回せば映画監督だし、発露の仕方は人それぞれだと思うんです。そう思うようになったのは、スコットランドで、詩の解釈はもっと広くていいのだと感じられたからです。建築物のコンセプトに「建築家の詩的感性がこういう造形を生んだ」と書かれていたのを見て、詩を文章ではなく建築でやることもできるんだなと思えた。そういうことがあって、別に詩を表現するのは言葉だけじゃなくていいと思えるようになった。
それを詩と呼んでもいいと。ところで、なぜスコットランドに?
ウチダ
少しずつ僕の詩を読んでくれる人や買ってくれる人が日本でも出てくるようになってきて、自分も何かに挑戦したいと思ったんですね。ならば日本よりも詩の文化が高いところで普通に暮らしている人が自分の詩をどう受けとめるか行ってみようと思って。それで前から好きだったイギリスに行くようになって。スコットランドなのはたまたまま友人が紹介してくれたからだったんですが、一日歩いていても人に一度も会わないような孤独感がたまらないんです。
孤独が好き?
ウチダ
何をやっても気にされない、この大自然は僕が何してもなんとも思わないだろうというような、自分に価値がないと感じることが逆に「何をやってもいい」と感じさせてくれるからかな。デザインでも詩でもそれなりにやってくると期待されることに応えたいという承認欲求が生じてしまうけれど、そんなこと気にしなくていいんだと思えるんですよ。だって気にされていないのだから。
誰も見てないし、誰も助けてくれない。本当に一人。
ウチダ
どうでもいい、じゃあいいや、と思える。それを感じさせてくれる土地だし、僕はそういう勇気をスコットランドでもらっているんです。
詩を書くためにとか、いいデザインをするためというより、何かもっと根っこの方のことなんでしょうね。うん、少し分かったような気がします。

最後に、田さんのリクエストで、ウチダさんが今回の作品のために書き下ろした詩を朗読しました。ここではその二編をご紹介します。

(あくにん)
しゅうでんのよっぱらいも
えきまえのきゃくひきも
かいしゃのじょうしも
みんな いやなやつ

おさわがせなどろぼうも
うわさずきのままともも
ゆくえしれずのあにも
みんなみんな めいわくなやつ

おもたいひとみのてろりすとも
へそのまがっただいとうりょうも
ぜんぶみぎならえのあなたたちも
みんなみんな さいていなやつだけど

さしだされたてを ふりはらい
おくられたことばに きくみみをもたず
かがみにうつるじぶんと めをあわせられない
あたしこそ あくにんです

(かぞく)
ただしいことをしなさい
ちちもははもそういいます
いもうとをたたいたとき
うそをついたとき
いぬのさんぽをさぼったとき
くちをそろえてそういいます

ただしいことってなんだろう
ぼくはいまいちじしんがない
どうしてもはらがたったこと
てすとのてんすうがはずかしかったこと
それよりげーむをしたかったこと
どれもぜんぶほんとうのきもち

ちちはぼくがにがてです
ははにはむかしからすきなひとがいる
いもうとはなにもしらない
これはぼくだけのひみつ
つぎのにちようびはかぞくそろって
かいすいよくにでかけます

「デザインの話をする場は色々あるので、今日は皆さんに言葉の話を聞いてもらういいチャンスだと思った」と田さん。今回の作品について「詩があることで生き生きとしたものになりました。おかげ様ですごくいいポスターができました」と、ウチダさんに感謝の気持ちを伝えました。デザインと詩を軸に表現そのものについて深く思いを巡らせた1時間半となりました。

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