ぼくの夢はお父さんのようなクジラとりになること—『くじらの子』は、村人の命をつなぐため、銛一本でマッコウ鯨に挑む“くじらびと”の父親に憧れる少年の物語です。舞台はインドネシアの辺境の島、ラマレラ村。写真家・映画監督の石川梵氏が30年にわたり写し撮ってきたこの村の記録から、2021年5月、一冊の写真絵本が誕生しました。9月現在、同題材のドキュメンタリー映画「くじらびと」も公開されています。今回は、この写真絵本の印刷設計を担当した十文字義美の「クリエイティブストーリー」をご紹介します。

指名受注とは、依頼主の覚悟をまるごと託されること

 十文字はプリンティングディレクター歴30年。高細線、広演色の写真集や、ダブルトーン、トリプルトーン、プラチナプリントといったモノトーン写真集のディレクションを得意としています。写真家をはじめ、デザイナー、装丁家、編集者からの信望が厚く、ほとんどの作品を指名で受ける屈指のプリンティングディレクターです。今回の『くじらの子』も、過去に少年写真新聞社「地球村の子供たち 途上国から見たSDGs(全4巻)」の印刷設計を担当した経緯から、同社編集部の山本敏之氏より指名で依頼を受けました。

 『くじらの子』の生みの親である石川梵氏は、これまで世界60カ国以上の国々で、大自然と人間の共生をテーマに撮影を重ねてきた写真家・映画監督です。1991年に初めてラマレラ村を訪れ、土地がやせていて農作物がとれないために400年前から捕鯨で生きる人々の暮らしを目の当たりにし、以来30年間、命がけでカメラを向け続けてきました。太古から何百万年と繰り返されてきた“命をいただくこと”の意味を、この村の人々のあるがままの姿を通して世界に伝えたい。石川氏の撮り溜めてきた記録、そこに注ぎ込まれた想いや決意を受け止め、十文字は制作に着手しました。

うねる波間、鯨を目がけて力強く宙に飛び出した“くじらびと”の勇壮な姿をとらえた見開きは、古いポジフィルムからの復元
(海面の調子を出すことで鯨の背中を現出、さらに銛の存在感を際立たせ、息をのむような光景を蘇らせた)

依頼主の信頼に応えたいから、初校品質は譲らない

 託された素材を、初校の段階で写真家の思い描くレベルまで到達させるのが、十文字の信条。選び抜いた製版チームを組み、打合せを綿密に重ね、品質を高めていきます。

 今回、石川氏から届いた原稿は、30年の時を経て進化した撮影技術の歴史を辿るがごとく、ポジフィルムからドローンによる空撮までさまざまな形式が含まれていました。動画の1シーンを使用したいという意向から、なかには映像の一瞬を切り出したデータも。十文字は、そうした形式の違いによって仕上がりにばらつきが生じないよう、原稿一つひとつを整えていきました。例えば古いポジフィルムは、そのまま印刷すると平坦な仕上がりになってしまうため、被写体それぞれの質感を出しつつ、一方で空の階調にはざらつきが出ないように調整します。写真家の心をとらえた生き生きとした輝きが、そのまま誌面に現れることを目指し、最適な線数を決定。用紙の特性に関する知識や経験値を頼りに最終イメージを予想し、細かく、そして的確に調整指示を入れていきます。そうして完成した『くじらの子』は、ページをめくるごとに溢れんばかりの煌めきと青い海の迫力に心を奪われる作品に結実しました。

燦々と降り注ぐ陽光と、海の照り返しを浴びる子どもたちの肌が、赤字指示によって生き生きと輝きだす
(左:調整前/右:調整後)

写真家からの依頼は「将来に向かって“希望”があるように」
(主人公の少年と“くじらびと”である父が並んで立つ、作品の象徴的な見開き)

写真家の心に焼き付いた情景を、紙の上に再構築するために

 写真集に求められるのは、“写真家の心に焼き付いた情景の定着”です。モニターに映し出された映像と、紙に刷られた印刷物との間には、どうしても視環境による差異が生じるもの。それに加え、原稿の背景には、常に写真家の心情が横たわっています。単純な作業では太刀打ちできないからこそ、「できる限り写真家と時間を共有し、撮影の背景やストーリー、想いをじっくり聞き出す」と十文字は語ります。

 心血が注がれる製版でのつくり込み。限界値がせめぎ合うライン上で、静かに格闘が繰り広げられる印刷現場。「校了紙(印刷見本)を目指すのではなく、メリハリ、奥行き、遠近感……印刷でさらに引き上げるために、現場で旗を振る。全部自分で見ないと気が済まない。指名だから」

 すべては、依頼主の想いに応え、手に取る人の琴線を衝き、共鳴を起こす作品づくりのため。穏やかな佇まいの奥に、依頼主の想いと真摯に向き合う、印刷の“知将”の顔が覗きました。

PRODUCT INFORMATION

「くじらの子」
少年写真新聞社
写真絵本/2021年

写真・文:石川梵
写真:宮本麗
デザイナー:室伏宏保
印刷設計:十文字義美

STAFF’S COMMENTS

プリンティングディレクター 十文字義美

動画やドローンの空撮からのデータ、そして古いポジが混在するなか、ラマレラ村の空の青や海の藍、そして鯨の存在感にいたるところまで製版指示をしていくと、なぜか海の藍さに吸い込まれていく。写真絵本(児童書)ということでその場面場面のリアルな美しさが、ページをめくる子供たちに伝わればいいと思います。上映中の映画「くじらびと」では、くじら獲りのお父さんの背中を追う少年をご覧ください。