2020年10月、凸版印刷が創立100周年を記念して設立した「印刷博物館」が、開館20周年を迎えました。それを記念し、常設展示を大幅に刷新。さらに、これまでの調査研究成果をもとに独自の「印刷文化学」を提唱し、印刷を文明史的なスケールの視点から捉え直す試みにも着手しました。その最初の取り組みとして刊行されたのが、『日本印刷文化史(日本語版/英語版)』と『印刷博物館コレクション』の3作品です。今回は、この記念すべき3作品の印刷設計を担当した、田中一也の「クリエイティブストーリー」をご紹介します。

“印刷”という表現技術を通じ、クリエイターを支える匠

 田中はプリンティングディレクター歴35年。感性的な表現が求められる分野でのディレクションを得意としています。グラフィックデザイナーやアートディレクターからの信頼が厚く、依頼主にとって代表作となる作品集や写真集の品質を、印刷設計から支えています。また、当社がクリエイターと協働して新しい印刷表現を探る「グラフィックトライアル」には、これまで8回参加。新しい印刷表現に挑戦しつづける姿勢と実績を頼りに、今回の相談が舞い込みました。

 依頼されたのは、刷新される博物館の各種ツールと、同時刊行される書籍・図録の3作品。印刷博物館では企画展ごとに印刷技巧を凝らした図録を刊行していますが、今回の制作は学芸員の想いも特別なものでした。アートディレクションには、同館の企画展「天文学と印刷 —新たな世界像を求めて」の図録で実績があり、情報の構造化と文脈の可視化をテーマにグラフィックデザインの可能性を探求している中野豪雄氏が起用され、かくして博物館の記念碑的ともなる作品制作が始まりました。

左から『日本印刷文化史』/『印刷博物館コレクション』/『HISTORY OF JAPANESE PRINTING CULTURE』(『日本印刷文化史』英語版)

アートディレクターの挑戦を、緻密な印刷設計で受けて立つ

 今回同時刊行されたのは、『日本印刷文化史』、『HISTORY OF JAPANESE PRINTING CULTURE』『印刷博物館コレクション』の3冊です。

 『日本印刷文化史』は、古代から現代まで、日本で起こった歴史的事件と印刷出版文化の関係を本編22章と6つのコラムで紐解いた1冊。今回の「印刷文化学」立ち上げの象徴となる作品集で、『HISTORY OF JAPANESE PRINTING CULTURE』はその英語版です。『印刷博物館コレクション』は、印刷博物館が収蔵する7万点以上の資料のなかから77点の「名品」を選び抜き紹介する図録となっています。

 いずれも厚みがあることから、造本には見やすさと開きやすさを考慮したPUR製本*¹が採用されました。また格調高い雁垂れ表紙*²や見返しの設計で、見る人をダイナミックに印刷の世界へといざないます。用紙はそれぞれの内容に応じ、個別にセレクト。三者三様の紙を使いながらも、箔、インキ、印刷の輝度感の差を効果的に扱うことで、統一感のあるデザインに仕上がっています。アートディレクターのこだわりと印刷の魅力が凝縮した、まさに印刷博物館ならではの作品となりました。

*¹PUR製本とは、PUR接着剤を使った製本で、一度固まると非常に強度が高く開きをよくすることが可能。再生時に用紙と完全分離除去できるということで環境にも配慮した製本。
*²雁垂れ表紙とは、くるみ仕立ての製本の一種で、表紙の小口だけを中身より大きくしておき、その部分を内側に折りまげた様式。

 『日本印刷文化史』の表紙を飾るのは、硬質な煌めきを放つ箔押しのタイトル文字。粒子を感じる鈍い輝きを持った銀色の文字は、地となる印刷面にマットニスを施すことで存在感が際立つ佇まいに仕上がりました。表紙をめくると、目の覚めるような朱の色面に銀色の図像が浮かび上がります。この用紙は、日本のファインペーパーのパイオニアとして長く愛されている「NTラシャ」の「朱」。この紙色が、今回のリニューアルにおける各種ツールのブランドカラーである朱色の指標にもなっています。

       

 『HISTORY OF JAPANESE PRINTING CULTURE』(『日本印刷文化史』の英語版)の表紙にも、『日本印刷文化史』と同様、箔押しのタイトルが添えられました。表紙をめくると、こちらも朱色のページが現れます。しかし朱色の用紙を使った『日本印刷文化史』と異なり、こちらは白色の用紙を使用しているため、表紙裏の朱色は「NTラシャ」の「朱」に合わせた特色インキによって再現されています。ベタ面のインキの上に銀インキは乗りにくいという課題がありましたが、朱の版を絶妙に調整することで、朱の上に銀の図像を浮かび上がらせるという表現を見事に実現しました。

       

 『印刷博物館コレクション』のタイトルにも、やはり『日本印刷文化史』『HISTORY OF JAPANESE PRINTING CULTURE』と共通の箔押しが施されています。表紙をめくると、漆黒の闇のなかで0.25pt(約0.09㎜)の極細罫線が冴える、繊細なビジュアルが現れます。その対向ページでは、同様の極細罫線が、今度は銀色の背景の上に浮かびます。背景色を変えただけのように見えますが、実は銀インキは柔らかく、さらに風合いのある用紙はインキを吸い込みやすいため、普通に印刷すると罫線が潰れてしまうという難しさがありました。それを知りながらもこのデザインを進めたのは、印刷技術に造詣の深い中野氏らしい、まさに印刷現場泣かせの挑戦状。田中は緻密な設計で、そのお題に応えていきました。

       

不可能をも可能にする、それがプリンティングディレクターの醍醐味

 印刷においてもさまざまな工程でデジタル化が進み、アナログ製版における技術(例えば粗線や特色版設計など)での表現が難しくなりつつある現代。グラフィックデザイナーやアートディレクターにとって、印刷は必ずしも、自由で効率的な表現手段とはいえないかもしれません。それでも田中は、「ちょっとした製版技法の工夫と印刷設計の組み合わせで、不可能だと思っていたことも可能にできる」といいます。

 「ちょっとお話するだけでも、(依頼主であるクリエイターの方からは)『こんなことをしたい』『あんなことをしたい』という希望が出てくる。こだわりの強い人ほど、こちらも新しい発見ができるので面白いですよね。クリエイターが表現したいことを、これからも印刷技術でサポートしていきたいと思います。」

 理想を追求する依頼主に対し、常に最適解を提示し、さらに想定を超える提案をしつづける田中。製版印刷技術者たちは求められる表現に対し、熱意を持って創意工夫に取り組んでいます。手作業の多かったアナログ製版時代、カラーフィルムや製版フィルム等の現物を見ながら「格闘」していた技術者の姿を田中は間近で見てきました。その経験の蓄積が、どんな要望も受け止める、彼の“懐の深さ”を支えています。

PRODUCT INFORMATION

「日本印刷文化史」講談社
「HISTORY OF JAPANESE PRINTING CULTURE」(「日本印刷文化史」英語版)印刷博物館
「印刷博物館コレクション」印刷博物館
「印刷博物館ガイドブック」印刷博物館
講談社、印刷博物館
図録/2020年

アートディレクション:中野豪雄
印刷設計:田中一也

STAFF’S COMMENTS

プリンティングディレクター 田中一也

特色設計をふんだんに使った装幀、読み易さを追求した造本設計。中野豪雄氏の繊細で緻密なアートディレクションを随所に感じることのできる作品となっています。特色版の設計、印刷インキの刷り重ね具合などの細部もご覧いただき、製版印刷設計の理解を深めるきっかけとなれば幸いです。