“カラー写真のパイオニア”として、独自の視点でニューヨークの日常を撮りつづけ、近年その魅力が再評価されている写真家ソール・ライター(1923-2013)。2020年1月に東京で開催された日本で2度目の回顧展に合わせ、写真集『永遠のソール・ライター』が刊行されました。回顧展の公式図録としても注目され、発売即日で重版が決定。現在も再版を重ねつづける人気ぶりです。今回は、この写真集の印刷設計を担当した山口理一の「クリエイティブストーリー」をご紹介します。

美術写真への尽きせぬ憧憬が巡り合わせた縁

 山口はニューヨークで写真を学び、卒業後は美術家・杉本博司氏に師事。大型カメラや銀塩写真などに取り組んだ経歴を生かし、写真作品の製版ディレクションや、海外との案件を得意としています。これまでにも数多くのフォトグラファーや海外クリエイターの作品に関与し、印刷博物館で開催中の『グラフィックトライアル2020-BATON-』にも参加しています。そうした経験が買われ、今回のプリンティングディレクターに抜擢されました。

 ブックデザインはアートディレクターのおおうちおさむ氏。写真や美術史に造詣が深く、日本初のソール・ライター回顧展(2017年)に合わせて出版され、日本の写真業界では異例のベストセラーとなっている写真集『All about Saul Leiter』も手掛けています。奇しくも二人は同い年。お互い暗室に籠って写真制作に夢中になった過去を持ち、共通の話題に花が咲くなど、美術写真への尽きせぬ憧憬が巡り合わせたような初対面となりました。

色見本がないなか、いかに写真家の心象を再現するか

 写真集は、展覧会で公開される200点に及ぶ作品で構成されます。初公開も含む作品群は、2014年に創設されたソール・ライター財団が管理する膨大な作品資料のアーカイブから選び抜かれ、デジタルデータでおおうち氏の元に届きました。

 印刷ディレクションにおいて大きな障壁となったのは、手元に色見本となるものが一切なかったこと。写真集の制作と展覧会の準備が同時進行で進められるため、展示用の作品もまだ届いていませんでした。写真家はすでに世を去っているため、本人とイメージを擦り合わせることも不可能。そこで、過去に出版された複数の写真集を参考にしつつ、デジタルデータから出校した刷り出しにおおうち氏と山口が1点1点赤字を入れていく地道な作業が始まりました。

 展覧会の企画を担当していた佐藤正子氏も交えて意見を出し合い、ソール・ライターが表現したかったであろう、古いフィルムならではの柔らかな空気感や、いくつもの要素が交錯する重層的な世界観を再現していきます。アートディレクターが抱く抽象的なイメージや想いを汲み取り、それを印刷現場の言葉に置き換え、具体的な指示として製版へとつなぐのが山口の役割。抽象と具象の間を行き来し、着実に印刷に落とし込むには、印刷知識だけでなく“作家の視線や考えにまで想いを馳せる想像力”が求められます。

 現物の見本がないことで伝達は困難を伴いましたが、粘り強い対話を重ねた結果、作業の難しさにもかかわらず校正を増やすことなく進行することができました。

苦労した印刷設計の思い出が詰まった1枚

写真家のスタイルを再現することは、文化をつなぐこと

 2020年1月、ついに展覧会会場へ作品が設置され、山口はようやく現物作品と校正紙とを突合せて微調整を進めることができました。今回の制作を経て、山口はこう語ります。

 「デジタルデータによって利便性は格段に上がりましたが、モニターの視環境や出力方法によって色が異なるため、正解が分かりません。特に美術表現としての写真は、同じデータでもプリントの明るさやコントラストの強弱によって、鑑賞者に与える印象が大きく変わってしまう。作家の表現スタイルを可能な限り再現することは、文化を残すという観点からも重要だと思います。」

色評価灯を会場に持ち込み、現物と突き合わせて色味を調整

 A5判、312ページの扉を開くと立ちのぼる詩的な世界。亡き写真家のまなざしを追い、彼を敬愛するさまざまな人の想いの集積から生まれた写真集は、ソール・ライターの魅力を伝える新たな指標となりました。再版を重ねるたびに現場に赴き、印刷の調子確認を続ける山口。彼の地道な作業と熱い想いもまた、一つの文化を後世につなぐ一助となるでしょう。

PRODUCT INFORMATION

「永遠のソール・ライター」
小学館
写真集(展覧会公式図録)/2020年

ブックデザイン:おおうちおさむ
印刷設計:山口理一

STAFF’S COMMENTS

プリンティングディレクター 山口理一

デジタルカメラやスマートフォンの写真に見慣れている今だからこそ、フィルムの柔らかい描写や独特な色合いを感じることができる作品集です。また、写真の合間に挿入されたライターの言葉を読むと、彼の人生哲学や美意識を垣間見ることでき、作品に対しての想像力も膨らみます。ぜひ書店などで手にとって、ニューヨークと写真を愛してやまなかった伝説の写真家の世界観を楽しんでいただければと思っています。