柔らかな和紙の上で、銀白色に輝く草花や雲、そして鳥たち―――。ページをめくるごとに美しい和紙と繊細な模様が現れるこの本は、東京松屋さんが手掛ける「江戸からかみ」という伝統和紙の見本帖。ずっしりと分厚い本であるにもかかわらず、開きやすくページ全体を見渡すことができます。30年ぶりとなる見本帖刷新で造本ディレクションを担当した、山口梓沙のこだわりを紹介します。

雲母の粉末に布海苔やこんにゃく糊を加えてつくった絵の具で摺られた文様

一度は失われかけた「江戸からかみ」を復興するために

 江戸からかみとは、江戸時代から続く伝統手加工のふすま紙です。手漉き和紙にさまざまな装飾を施してつくられ、江戸の武家や町人のくらしを華やかに彩ってきました。しかし、関東大震災や第二次世界大戦時の東京下町大空襲により、江戸からかみの版木のほとんどが焼失。戦後は急激な時代の変化とともに、手づくりのふすま紙は衰退の一途をたどっていました。

 東京松屋さんは、戦前にお店で扱っていた江戸からかみ見本帖を見て、なんとか江戸からかみの美しい文様の手摺り和紙を復元したいと考えていました。その技法を受け継ぐ職人たちの協力を得ながら、長い時間をかけて最初の見本帖を発行したのが平成4年のこと。積年の努力が功を奏し、平成11年には経済産業省指定の伝統的工芸品の認定を獲得しました。

30年ぶりの見本帖刷新、求められたのは高い耐久性と高級感

 1冊目の見本帖は大切に使われていましたが、30年間という月日の中で経年劣化が進んでしまいました。ページの破れや折れが目立ち、はがれかけている表紙はテープで補強しなければならない状態。これ以上使い続けることが困難となり、今回の刷新へと至りました。

 刷新にあたり、東京松屋さんが出した要望は「10年先も美しさが保たれるように耐久性を高めること」。そこで造本ディレクションを担うべく参加したのが、立体的な印刷物の構造設計を得意とするディレクターの山口です。これまでも特殊な折りを利用したカレンダーや特殊な書籍の仕様設計を手掛けてきた山口は、豊富な知識と経験のなかからさっそく東京松屋さんの要望に適う製本方法や素材を探り始めました。

ページを美しく開けるよう、納得するまで繰り返し試作

 数多くの製本方法から山口が選んだのは、「船型製本」と呼ばれる糊を使用しない方法です。本文ページをコの字型の部材ではさみ、上から金属のビスで固定することで、厚みのある本でも頑丈に綴じることができます。

⼯場に並ぶ籠染めに使われた籠の数々
左の様⼦からイメージを膨らませたカレンダーの表紙ビジュアル

 「ただ、このままでは紙の張りのために開きづらくなってしまうという欠点がありました。見本帖である以上、スムーズに美しく開いて閲覧できることはとても重要です。筋押しの数や間隔を細かく計算し、全ページにおいて開きやすい構造になるよう調整する必要がありました。」(山口)

 全体をくるむ表紙部分にも細かい工夫を凝らし、開きをよくするため裏表紙にも折り返しができるよう加工を施しました。

 また、各ページに和紙を貼りこむため、その分の厚みを計算しておかないと表紙が浮いてしまいます。そうならないよう、本文ページの間に適宜クッションを入れ、最適な背幅へと調整しました。

 こうした微細な調整を行いながら試作を繰り返し、ようやく完成したのがこの見本帖。その甲斐あって、開きやすさや耐久性はもちろんのこと、重厚感がありながらも洗練された印象に仕上げることができました。

紙より強く、品格のある素材を求めて

 製本方法と並んで山口がこだわったのは、使用する素材の選択です。表紙に使用する素材には、紙よりも耐久性の高いポリウレタン素材を採用。これは山口が数多くのサンプルを見ているなかで、いつか使いたいと気になっていたものでした。

 「東京松屋さんからご相談を受けて、すぐにこの素材が良いと思いつきました。しっとりと手に吸い付くような触り心地と合皮ならではの高級感が、今回の見本帖にぴったりだと思いご提案したところ、東京松屋さんの抱いていたイメージとも合致して、採用が決まりました。」(山口)

 また、この素材は型押しの適性が高いため、表紙のデザインには金の箔押しを施すことに。それにより見本帖の品格がさらに高まりました。もともと10年の耐久性が謳われている素材ですが、実際に提案する際には検証のために高温高湿環境下での耐久テストを実施。「10年先にも残す」という目標に向け、妥協なしの製作を徹底しました。

もはや“美術本”ともいえる見本帖が完成!

 今回の見本帖に貼り込まれた和紙の種類は、全部で106種。構造が特殊な上に貼り込み数も多く、さらに製造は国外の工場。間違いが起こらないよう、慎重なやりとりが必要でした。そしてそこにおいても山口のこだわりディレクションが力を発揮します。試作ができた段階で工場から日本に現物を取り寄せ、細部まで入念にチェック。仕上がりを丁寧に確認してから、本番製作へと進みました。

 最終的な完成まで、費やした期間は約1年半。耐久性が高く高級感のある美しい見本帖が完成しました。2020年の全国カタログ展では経済産業大臣賞を受賞し、高い評価もいただいています。

 この見本帖は、ただ商品のサンプルを掲載するだけでなく、「江戸時代から脈々と続く伝統技法を後世に引き継ぐ」という重要な役割を持つ資料でもあります。今後は関連の設計事務所や卸売の営業所に配布する予定となっていますが、10年後もこの見本帖が、丈夫に美しく活躍していることを願ってやみません。

PRODUCT INFORMATION

江戸からかみ総合集
東京松屋
見本帖/2021年

ディレクター:山口梓沙
フォトディレクター:鎌田憲之

STAFF’S COMMENTS

ディレクター 山口梓沙

10年以上使い続けられる耐久性をどこまで追求し、担保できるのだろうと悩みました。何度も試作をつくりながら改良を重ねたことで、最終的に素敵な見本帖が完成しました。長く人の手に触れる江戸からかみの見本帖に携われたことを大変嬉しく思います。