TOPPAN 凸版印刷株式会社

当サイトは、コミュニケーションメディアのひとつである印刷表現の幅を広げ、クリエイティブに役立つ情報を発信するウェブサイトです。凸版印刷のグラフィック・アーツ・センター(GAC)が運営しています。

CREATOR’S FILE クリエイターズファイルトップクリエイターに、仕事や考え方について伺います

新しいものを生み出すために

26 中村勇吾

今、世界が最も注目するクリエーターのひとり、中村勇吾氏。彼が手がけたWebサイトの数々は、それまでに見たことのなかった驚きや楽しみがたっぷりと盛り込まれ、サイト訪問者を飽きさせない。2009 東京TDC賞グランプリも受賞するなど、Web・インタラクティブデザイン以外の分野からも高く評価される中村氏に、生い立ちからWebデザインの仕事をスタートさせた頃までをお聞きした。

第1話 「考え方、コンセプトに形を与える」

工作少年

子どもの頃は…とにかくぼーっとしていました。3つ上の兄貴にくっついていっては足手まといにされて。今でも時々夢に見たりしますね。
その頃の話で、今の自分につながっていると言えるのは、やはりモノを作ることは決して嫌いじゃなかったということでしょうか。
好きだったのは理科工作。学研の学習誌の付録などはすごく熱中して作っていました。その頃「ラブアタック」というTV番組のセットでハート形の電飾があって、そのミニチュア版を夏休みの工作で作りました。大量の豆電球をハート形に並べて、お見合い成立だと全部点灯、男が女にふられると半分だけ点灯という番組の設定どおりに作って。それはすごくほめられましたね。

コンピュータが欲しい!

理科工作好きが高じて、コンピュータに興味を持つようになりました。小学校5、6年頃にマイコンというのが出てきて、それが欲しくてね。それで何がしたいという具体的なものはなくて、せいぜいブロック崩しができるなくらいのものだったのですが、とにかく欲しいと。
でも当時で20万とか30万円くらいしたんですね。とうてい買えるような金額じゃなくて、親に交渉したら、灘中学に合格したら買ってもいいということになりまして。本格的に勉強に力を入れ始めて灘中に入り、約束どおり買ってもらいました。シャープの「パソコンテレビ X1」という機種でした。

ガウディがきっかけで建築を志す

灘中から灘高に進んで、その頃はバレー部に入って部活一直線という感じで過ごしていました。でもある日、たまたま入った本屋でガウディの写真集を見てショックを受け、それから建築って総合的におもしろい職業なんだろうなと興味を持ち始めました。
で、いろんな建築家の方の出身校を調べてみたら、やっぱりなんだかんだ言って東京大学で、じゃあ東大に行こうと。
僕らの年代というのは第一次受験戦争ブームが加熱していて、その反動で偏差値教育は悪だと盛り上がっていた頃でした。僕自身も有名な塾に通っていたり、超進学校に行っていたりと、言わばその渦中にいたわけです。そういう風潮に対して、言われのない迫害を受けたという気分もあって、利用できるなら利用してやれというノリで、東大という進路もわりとドライに考えていました。

新しいものを足すことを学んだ大学時代

東大に入って、4年になった時に景観研究室というところに入ったんですね。そこはエンジニアリングをベースにデザインも扱う学問分野で、おもしろかったんです。たとえば論文を書くのにも、世の中に対して、新しいことをひとつ足さないと成立しないという、理系なりの論文の世界がありまして。それまで先人たちがいろいろと積み重ねてきたところに、さらに新しい何かを追加するって大変なんだけど、ここで既存のものを見て、何か新しいものはないかと探していく訓練ができたかなというところがあります。
これは、今、仕事でやっていることと近いですね。今、うちの会社ではユニクロのオンラインストアの全ページを作っていたりと、圧倒的な情報量のWeb サイト構築というような、力仕事的な仕事もやっています。そんな時でも、これは新しい、誰もやったことがないというものを足していかないと、その都度で消耗してしまうだけかなと考えているんです。

PCとの再会、Webとの出会い

パソコンは中学以来、疎遠になっていたんですが、大学に入って初めてMacを見て驚きました。一番初めにすごいと思ったのは、Macのスクリーンセーバー「AfterDark」の中の「satori」です。
フラクタル図形が延々と描かれて、だんだん細かくなり、いろんな色の縞模様ができるものです。こんなに大変なことをしているのに、コンピュータは絶対に間違わない、これはすごいと。
そんなことから、その周辺のことをいろいろと探索して、ジョン前田さんのCD-ROM作品などに出会い、自分もこういうものを作ってみたいと思うようになったんです。
大学院に進んだ頃にはWebが出てきて、自分でも個人サイトを作って、それにのめり込みました。何か作って公開するとすぐにフィードバックが返ってくる。そのコミュニケーションのスピード感が感動的でした。
当時のWebの状況って、まだアクセスする人自体が少なく、理系の大学の研究者とかクリエイティブ業界の耳の早い人ばかりで、結構濃かったんですね。そういう人たちの間で、なんかおもしろいヤツがいるって話題になって。
個人サイトのコンテンツを見たとメールをいただいたのが、当時電通に、今はGT INC. にいらっしゃる内山光司さんでした。
内山さんとはその後もずっとおつきあいがあって、のちの会社で、ソニーの「コネクティッド・アイデンティティ」というコンテンツをやらせてもらって、それは転機になったと思える仕事ですね。イギリスのクリエイティブ集団tomato がメインで手がけて、僕はその手伝いみたいな関わり方だったんだけど、非常にコンセプチュアルに組み立てられていて、商業的なネットの使い方としてもすごく新鮮で。テクニカルな部分も緻密に作り込んであって、これはすごいなと思いましたね。
その頃に出会ったのが「フォームギバー」という言葉。フォーム=形を、ギブ=与えるという意味で、そういうことがやりたいと考えました。考え方やコンセプトに形を与えるということで、ブラウザで再生はされるけれど、独自の世界がそれ自体として成立しているようなもの。後の「CAM CAM TIME」とか、「NEC ecotonoha」につながる考え方です。

中村勇吾
インターフェースデザイナー
1970年奈良県生まれ。96年東京大学工学部大学院修了。橋梁設計会社、ウェブ開発会社を経て、2004年tha ltd.を設立。ウェブサイトやCF映像のアートディレクションやプログラミングなどを手がける。主な作品に世界三大広告賞の最優秀賞を受賞したNECの環境サイト「ecotonoha」やユニクロ、KDDI「iida」の広告など。“インタラクティブデザインの創造的活動”で2008毎日デザイン賞、展覧会「NOW UPDATING... THA/中村勇吾のインタラクティブデザイン」で2009東京TDC賞グランプリなど受賞。多摩美術大学客員教授も務める。

PDFファイルをご覧になるには、下のボタンから最新のプラグインをダウンロードし、インストールしてご覧ください。

Get Adobe Reader

  • ご意見・ご感想・お問い合わせ 
  • 著作権について 
  • 個人情報保護方針 
  • ソーシャルメディア利用規約 
© 2002 TOPPAN PRINTING CO., LTD.