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WEBマガジン グーテンベルクの遺伝子

vol.1 「電子書籍の今」 前編

ITジャーナリスト 佐々木俊尚氏 ロングインタビュー 電子書籍とタブレットがもたらすもの Step1

ウェブという世界の中で、ソーシャル化していくコンテンツ

コンテンツそのものの変化を予感させる事象のひとつとして参考になるのが、ケータイ小説です。普通の本というのは一人の独立した個人としての書き手が、自分の頭の中だけで考えて生み出していく孤独な営みです。しかし、多くのケータイ小説の場合は、ある個人の恋愛体験みたいなものを第三者に仮託して書かれます。それがモバイルの掲示板上に書き進められることで読み手とダイレクトにつながり、読み手とのやり取りの中で物語はさらに転がっていきます。つまり、ここでの書くという行為は個人の孤独な営みなどでなく、ある種の社会の集合的無意識をすくい上げてひとつの物語に編み出すことなのです。

考えてみれば、これは文字が生まれる以前、口承文学(オーラルリテラリー)の時代の物語の成り立ちと同じです。この時代の物語は、誰かが語った物語が口伝えによって語り継がれることで、変質し、あるいは誰かの価値観が加えられて、最終的にはその時代の集合的無意識がひとつの物語となって生み出されていきました。実は、こうしたことが何十世代にもわたって繰り返されてきたのです。それが文字の発明によって固定化されるようになり、物語は個人の孤独な営みへと変わってきました。日本でも「古事記」は、太安万侶という人が稗田阿礼の口承を書き写したといわれています。

最近、よくインターネット上で言われているのは、電子書籍化することは、ウェブ化することではないかということです。例えば、ニコニコ動画の場合も、見る側はその動画コンテンツだけではなく、動画上に字幕で流れるいろいろな人のコメントも含めてコンテンツとして楽しんでいます。同じように本も誰かが何かを言及する、その言及されたことに対してまた誰かが反論するという波及効果も含めてコンテンツとして成立するようになると、別の形に進化していくことは十分に考えられると思うのです。これは、まさにケータイ小説であり、口承文学ではないか、と。これは、あくまで推測です。しかし、この10〜15年のウェブの進化を見れば、コンテンツがウェブに飲み込まれていくと必ずソーシャル化していく。動画にしろ、音楽にしろ、その点では同じです。

デバイスの変化がもたらす、雑誌などにおける表現方法の進化

最初に「コンテンツ」「コンテナ」「コンベア」についてお話をしましたが、コンベアには単純な媒体デバイスの変化とは別に、それによる表現方法の変化という側面があります。特に、雑誌などの分野では、電子化への過渡期を迎えて、さまざまな試みが行われています。

例えば、アメリカの出版社コンデナストが発行している「ワイアード」というIT系の雑誌は、iPadアプリで極めておもしろい表現をしています。巻頭特集の扉は、左から右へとめくっていくのですが、それぞれの本文記事がどこにあるかというと、それぞれの扉の下方向へとめくっていくようになっています。つまり、ページネーションがマトリックスになっているのです。

また、これはよくある例ですが、段組のある部分だけをタッチするとパッと拡大されて読みやすくなるとか、写真のオープンがスライドショーになるとか、動画になるとか。このように読みやすさとインターフェイスを究極に拡大していくことで、新たな表現が生まれる可能性も確かにあります。

ただ、アメリカで問題になっているのは、コストが価格に直結するという事実。アメリカでは、通常、雑誌は定期購読なので、定価が400~500円でも定期購読だと一部90円くらいで読むことができます。しかし、iPadアプリでは、それが定価と同じ400~500円にもなってしまう。定期購読が少ない日本の方が、むしろそうした手法でおもしろいものをつくれば、電子雑誌の市場が伸びる可能性はあると思います。惜しむらくは、日本の場合、iPadなどの市場がアメリカに比べてまだまだ小さいこと。ですから、仮に今後1~2年の間にiPadやその他のタブレットデバイスが急速に拡大すれば、日本で雑誌のアプリ化が成功するかもしれません。

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