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凸版印刷株式会社

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トッパン110年のあゆみ 1940年~1949年 第二次世界大戦の戦時統制の下、日本の産業界は戦争遂行のために、総動員されていました。企業が総動員されるなか、印刷業界も例外ではなく、国債など証券類の発行をはじめ、増加する政府の需要に応えて、印刷会社は繁忙を極めました。終戦後、混乱期の経済統制の必要性により、政府からの需要はしばらくの間も続きました。

沿革
1945年(昭和20年) 大蔵省(現 財務省)募集の日本銀行券新図案に応募の全券種入選(1000円、500円、100円、10円、5円、1円)
1946年(昭和21年) 板橋・富士・大阪支社工場が、通貨等製造工場管理規則により大蔵省管理工場に指定(1952年指定廃止)
終戦後の繁忙期

 終戦後、当社は、日本銀行券や郵便切手、宝くじの印刷など多くは政府からの需要により繁忙を極めました。
 1945年10月、当時の大蔵省は、本格的な新日銀券を製造発行すると発表し、同時にその図案を民間印刷工場の図案専門家にも作成させることにしました。新円の図案は、印刷局はもちろん、当社をはじめ主要印刷会社から47点が提出され、審査の結果、1000円、500円、100円、10円、5円、1円の当社が提出した全券種が入選しました。
 郵便切手では、大蔵省の切手製造用の印刷機などが空襲のため焼失していたため、印刷局では郵便切手の一部を紙幣印刷工場で製造していました。そのほかは民間の印刷会社に委託していました。当時、のりなし、無目打の切手は、第3次昭和切手とよばれており、民間委託分の多くは当社が受注していました。また地方宝くじの発行が許可されると、さっそく9県が地方復興くじを発行しました。当社はそのうち、正式な地方宝くじ第1号の福井県宝くじ、神奈川県宝くじ、新潟県宝くじの3県のくじを受注しました。

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