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凸版印刷株式会社

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トッパン110年のあゆみ 1930年~1939年 世界恐慌の余波は、日本の産業界を深刻な不振に追い込み、印刷業界もかつてない不況に見舞われました。このようななか、当時社長の井上源之丞は、日本の将来の姿と印刷業界の発展性を見据えて、世界有数の近代的工場の建設に踏み切りました。

沿革
1938年(昭和13年) 東京市板橋区志村(現 東京都板橋区志村一丁目)に板橋工場を竣工、操業開始
板橋工場の竣工

 ニューヨーク株式市場に端を発する世界恐慌は、日本の産業界を深刻な不振に追い込みました。
 しかし、当社は、恐慌の時代を経費削減や積極的な営業活動によって乗り切り、順調に事業を拡大させていました。景気が少しずつ回復するにつれ、不況期には協調して事業を展開していた印刷会社各社も次第に競合するようになりました。このようななか、社長の井上は、日本の印刷業界の将来性を推し量るべく、日本の紙の消費量の調査を実施、その結果、主要先進国に比べると、日本の紙の消費量が著しく少なく、同時に印刷物の生産量も少ないことが判明しました。日本の印刷業界がまだまだ発展途上の段階にあり、今後の需要拡大は確実であると判断しました。
 そこで当社は、将来の印刷需要の増大を前提として、他社に劣らない規模の設備を備えた新工場建設の方針を決め、直ちに建設計画に着手しました。
 新工場の板橋工場は、総面積約6万6000平方メートル。工場の建物は4万平方メートルあり、洋風庭園と運動設備を備え、当時の工場のイメージを一新する近代的な工場でした。第1期工事が終了した1938年に操業を開始、すべて完成したのは1940年でした。

完成した板橋工場 1940年 操業開始のころの板橋工場内部

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