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凸版印刷株式会社

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トッパン110年のあゆみ 1920年~1929年 1923年、関東大震災は日本経済に深刻な影を落としました。その反面、復興の諸事業によって東京の景観は大きく変わりました。震災の復興の波が、市域を広げ、都市の景観や人々の生活を向上させていくなか、都市部の大衆文化の発展は、書物の大量発行・大量生産の需要を呼び起こします。それは、これまで多品種少量生産が主流であった印刷業に大量生産と低コストが本格的に求められる時代の幕開けでもありました。

沿革
1920年(大正9年) 米国よりHB写真製版法とその装置を導入
1922年(大正11年) 本社新工場落成
1926年(大正15年) 東京市小石川区西江戸川町(現 東京都文京区水道一丁目)に小石川紙器工場を開設
1927年(昭和2年) 大阪市西淀川区大仁西二丁目(現 大阪市大淀区大淀北一丁目)に大阪分工場を新設
HB写真製版法の導入

 1920年頃、アメリカでは、写真応用平版の技術と機械化した殖版焼きつけ法を中心とする多色カラー印刷のための「HBプロセス」と呼ばれる、精密かつ能率的な製版法が普及しはじめていました。
 市田オフセット印刷株式会社の市田幸四郎は、アメリカのHB特許会社と特許権の買い取りを画策し、交渉を続けていました。1社でこの特許権を購入することは難しいと判断した市田は、親交のあった当社支配人の井上源之丞に相談を持ちかけました。井上は、当社と市田オフセット印刷(株)を含む印刷業界6社に声をかけ、「日本エッチ、ビー特許製版株式会社」を設立しました。こうして、HBプロセス装置の第1号機は、市田オフセット印刷(株)に設置されることとなり、翌年には、当社に第2号機が設置されました。

東京紙器(株)を吸収合併

小石川紙器工場 1926年

 1926年4月8日、当社は臨時株主総会を開き、東京紙器株式会社の吸収合併の報告を行いました。この合併により、東京紙器(株)の設備と従業員のすべてを当社が引き継ぎ、西江戸川町の工場は当社の小石川紙器工場となりました。これにより、紙器・パッケージ部門の本格的な生産体制を築く第一歩となりました。

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