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凸版印刷株式会社

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トッパン110年のあゆみ 1900年~1909年 20世紀の初め、明治維新を出発点に、日本が近代化への道を歩みだした時代。産業化が進みつつあった日本では、新技術を用いて新しいニーズに応える企業が続々と誕生していました。トッパンの創業者たちは、「エルヘート凸版法」という当時最先端の技術を基礎に、証券印刷やパッケージ印刷などの分野にビジネスチャンスを見出しました。

沿革
1900年(明治33年) 凸版印刷合資会社の創立
1908年(明治41年) 凸版印刷株式会社に改組
創業の時代

エドアルド・キヨッソーネ エルヘート凸版法の銅版

 1880年代、大蔵省印刷局(現 独立行政法人国立印刷局)で、技術指導にあたっていた御雇外国人のエドアルド・キヨッソーネは、多くの技術者を育てるかたわら、細紋彫刻機の操作、エルヘート凸版法、すかし模様をつくる版面製造法など、日本の紙幣印刷技術の向上に大きな功績を残していました。
 キヨッソーネの下で最新の印刷技術を学び、その後凸版印刷の創始者となる木村延吉と降矢銀次郎の二人の技術者は、当時最先端の印刷技術である「エルヘート凸版法」を基礎に、日本の印刷業界のさらなる発展を考えていました。しかし、受注を見込んでいた有価証券などの高級印刷物は、不況の折から需要はわずかで、事業を軌道に乗せることは困難を極めました。

木村延吉 降矢銀次郎

伊藤貴志 当社初代社長 河合辰太郎 三輪信次郎

 そのころ、日本のたばこ業界では民営のたばこ会社であった村井兄弟商会と岩谷商会が熾烈な販売競争を繰り広げていました。ここにビジネスの可能性を見出した木村と降矢は、村井兄弟商会がアメリカ製の最新印刷機を導入するという話を聞くと、すぐに岩谷商会へ「エルヘート凸版法」による外箱印刷の提案を持ち込みました。
 村井兄弟商会の設備増強に危機感を抱いていた岩谷商会も精巧な「エルヘート凸版法」による製品に魅力を感じていました。こうして木村と降矢は印刷局を離れてから8年目にして、ようやく「エルヘート凸版法」による恒常的な受注先を獲得したのでした。

 その後、伊藤貴志、河合辰太郎(初代社長)、三輪信次郎の3名の出資者を加えた5人の創業者により、東京市下谷区二長町1番地(現 東京都台東区台東一丁目)に「凸版印刷合資会社」が設立されました。

 木村は印刷会社設立にあたり、前年の1899年、「銅凸版及石版印刷所設立趣意書」を起草しました。これを基に、創業者5人が議論を重ね、「凸版印刷会社設立ノ趣旨」を作成しました。併せて種々の取り決めに従い、設立の「契約書」を作成しました。
 これらの文書には、ベンチャーとして起業を志した創業者たちの、熱い想いが綴られており、トッパン創業の精神を現在へと受け継ぐ貴重な資料となっています。

凸版印刷株式会社に改組

 1908年、凸版印刷合資会社は、資本金を40万円に倍増し、組織を改めて凸版印刷株式会社として再出発しました。合資会社発足時の定款と異なる点は、銅凸版、銅鋼凹版、石版、アルミニウム版、写真応用版の製版印刷に「製本及び活字類の鋳造販売」が加えられたことです。これは日本国民の生活水準の向上、文化の発達、出版社の躍進に対応して、当社が活版印刷の分野へ照準を合わせたことの反映であるといえます。

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