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「ヨロズ60年の歩み」株式会社ヨロズ 元社史編纂事務局 河村正雄さんの体験談をうかがいました。

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社史制作の目的とかかった時間は・・・

 今回は特に、海外のグループ従業員にも創業からの流れを正しく伝えていかなければならない。「従業員の意識向上」というところに重点を置いて作りました。日本語版と同時に英語版を制作したのも、一つにはそのためです。

 社史は企業のPRにも使えます。社史は教材にもなります。新入社員教育に使えますし、課長の昇格試験もそこから問題を出します。

 かかった時間については、広くとらえれば10年刻みの中間の5年目、実際の作業に入る前に中期計画、5年計画を立てるので、そこがスタートとも言えるでしょう。次回に扱う直近10年の目次を役員らが想定を交えてまとめ、各項目の執筆担当をその時点で割り振って、心の準備をしてもらうのです。事務局業務としては約2年間で作り上げました。


会社概要をお聞かせください・・・

 1948(昭和23)年4月、横浜市において、萬(よろず)自動車工業株式会社の名でスタートしました。現在の資本金は3、472百万円。自動車の足回り部品、サスペンションの専門メーカーです。フロントサスペンション、リアサスペンション、それとあと、リンクやロッド類、ペダルとかオイルパンを作っています。グローバルな展開を図っており、グループの従業員数は国内外合わせて4000人余りに上ります。


会社の沿革は・・・

 創業者の志藤(しどう)六郎は、「縁の下の力持ちになろう」という主義の人でした。そこより、「厚板をプレスして機械加工を施し塗装する、という縁の下の部品を選ぼう」という創業の精神が芽生えた、といいます。

 最初は、自動車の部品を一つ一つ手作りしていました。そのときの、なんとかもっと生産性を上げていいものづくりをできないか、という思いが、現在まで全従業員に脈々と受け継がれる「改善マインド」の原点となりました。

 創業当時、日本を代表する車種の一つに日産のダットサントラックがありました。その部品は簡単にはできません。特に、排気管(パイプ)を曲げる工程がネックでした。ダットサンの生産台数は、それの出来高によって決まります。そこで当社は、曲げるための加工機を自ら開発しました。パイプに砂を入れるときれいに曲がるのです。今でいうバルジ工法です。その製品はどんどん納入されていき、なかなか頑張る会社じゃないかということで、日産とずっと取引できるようになりました。

 1960年代は高度成長期で、自動車の生産台数も右肩上がり。量の時代です。その終わりの69年に当社は日産自動車の資本参加を受け、日産系の部品メーカーの一角を占めるに至ります。続く70〜80年代は質の時代となり、長持ちして事故の起きない車が世に求められ、当社の企業体質もそれに合わせていかなければならなくなりました。

 1990年代に入ると、萬の字や工業という響きが重くて新しい時代にそぐわないということで、社名をカタカナに改めるとともに、グループ共通のロゴマークも作り、企業イメージを変えていきました。1994(平成6)年に東証の二部、翌95年に一部と、株式上場も果たします。いわば、町工場から一つの社会的な企業へと脱皮を図ったのです。

 2000年、日産との資本関係をNRP(Nissan Revival Plan;日産リバイバルプラン)によって解消されると、外資系(アメリカ)のタワー社が筆頭株主となりました。外資系企業となり、日系のカーメーカー11社全部に加え、海外のメーカーとも取引できるようになりました。逆境はむしろチャンスです。一本立ちして受注も増えました。2004年にはタワー社の持ち株をすべて買い戻し、独立系企業として現在に至っています。


社史の仕様・構成について

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