TOPPAN 凸版印刷株式会社

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CREATOR’S FILE クリエイターズファイルトップクリエイターに、仕事や考え方について伺います

人をハッピーにするデザイン

11 佐野研二郎

今、もっとも“旬”な広告クリエイターといえば佐野研二郎氏の名前を挙げる人は多いだろう。
的確に抽出された最小限の要素だけで構成されるその簡潔な表現には、どこか人をホッとさせたり、和ませたりするユーモアが見え隠れする。そんなアートディレクションはどのように発想され、育まれてきたのか、その秘密を探るべく、お話を伺った。

第1話 「アートディレクターへの道」

高校時代…陸上少年が美術にハマる

 高校3年生の時に美術を始めたのが、この道に入るそもそものキッカケです。
 代ゼミの造形学校に通いはじめたんですが、周囲は高1から始めている人ばかり。『これはヤバい』と思いました。でも、家で靴やコカコーラのボトルを描いたり、素振りする感覚で練習したら、だんだんうまくなってきて、それがおもしろかった。その頃、日比野克彦さんを見て、油絵でも日本画でもない、ポップな感じに惹かれました。「これだな!」と思ったんです。

多摩美時代…ADの存在を知る

 多摩美のグラフィックデザイン科に入ってからも、デザイナーって何をするのかよくわかっていなかった。むしろ、日比野さんのように“自分発信”がいいと思い、イラストを描いてはずいぶんコンペに出展しました。
 その頃に、大貫卓也さんの講演会を聞いて衝撃を受けたんです。
 たとえば昔のデザイナーやイラストレーターって自分の作風で勝負という感じですが、レイモン・サヴィニャックに描いてもらったり、ハーブ・リッツに写真を撮ってもらったり、最終的なアウトプットは違っていても、ポップでやりたいことが一貫していて新しいと思いました。しかも、どの仕事もラクに作っているように見えて、そこもかっこいいと勘違いしてた(笑)。「博報堂しかない!」と思いました。

新人時代…大貫さんの偉大さを知る

 博報堂に入るためにとった戦略は、たくさん数を作るということ。入社試験は「東京タワーのポスターを作る」という課題でしたが、東京タワーのフォルムでグラフィックを作るのはみんながやると考え、僕は『東京タワーに来てくださいキャンペーン』というわかりやすいものをでっちあげて、当時の都知事だった青島幸夫さんや大阪府知事だった横山ノックさんを使ったポスターやTシャツやパンツなどを作りました。
 それが他と違ってて面白いということで、狙いどおりに博報堂に入社し、かつては大貫さんもいらしたグループに配属になりました。きっとカジュアルに広告を作っているんだろうなと思っていたら、まったく違っていた。背広着た人がたくさんいて、なんだか眉間にしわを寄せているような雰囲気で(笑)。そこで改めて「大貫さんはスゴかったんだ」と気づきました。そんな状況で継続してポップなものを作っていたんだから。
 会社という組織の中で、大貫さんのようにハジケたものを作るのは、相当にハードなことなんだと認識しました。

修行時代1…スピードの重要性に気づく

 代理店という大きなシステムの中で大貫さんみたいなことをするには、ブッちぎったことをやらないとダメなんだと思いました。
 最初にそれを意識したのは日光江戸村の「ニャンまげ」のときです。僕がキャラクターを考えたので、ADの米村浩さんが「佐野君の案なんだから、ADとしてやってみたら?」と、グラフィックはほとんどまかせてもらえたんですね。
 それまではいろんな人の意見を聞いてバランスを取っていたけど、自分がこれがいいと思ったらどんどんカタチにしていきました。そのやり方で、グッズも作ったらそれも売れたりして、自分が面白いと思ったことはどんどんやっていいんだとわかったんです。
 それまでは我を出してはいけないと思っていたけれど、誰かの思い込みで突っ走ったもののほうが表現としておもしろかったり、強くなるということを学びました。

修行時代2…佐藤可士和さんに学ぶ

 思い込みやスピードの重要性を確信したのは、佐藤可士和さんの下についた時です。最初に木村拓哉さんのTBCを一緒にやったのですが、自分の考えたことがいかにおもしろいかをスタッフ全体で共有し、スピーディに作っていたんです。それから可士和さんは同世代の人たちと必要最小限のスタッフで、まさに部活っぽいノリで作っていました。そんな勢いで作ったものがそのまま世の中に出て、評価されている。スピーディでそれぞれの責任範囲が明確な仕事のやり方を自分もしようと思いました。
 その頃、初めて「としまえん」を担当することになり、盛り上がって作ったんですが、思ったような結果が出なくて、少しがっかりしたんですね。
 それでも夏もプールのポスターを作ることになって、自分は自意識過剰になりすぎていたなと開き直ったんです。
 ポスターでは「つめたい」ということが言えればそれでいいとわりきって、消防士が水を撒くビジュアルを考えました。そしてカメラマンを選ぶ時に、独立したばかりの瀧本幹也君と組んだんです。この時に初めて、カメラマンとタメ口になれたんです。打ち合わせの途中から「これでいーじゃん?」と言っている自分がいて『可士和さんの現場と同じだ!』と。撮影も手応えがあったんです。
 上がった写真を見ながら瀧本君と「できたね!」って笑ったんですが、その時に、ADは自分で写真を撮影するわけじゃないけど、一緒に作ったという感触がありました。それでポスターを作ったら評判も良く、これでADの仕事というのを感覚的に掴みました。

一本立ちの時代…広告制作者として覚醒する

 ちょっと下世話な話ですが、僕は「としまえん」の仕事でADCなどの賞を取れると思っていました。でも全然ダメだった。自分の中ではADCで賞を取ることはひとつの目標だったのでがっかりしたんですけど、そこでさらにわりきりました。
 消防士の時もどこかに『賞が欲しい!』という邪念があって、レイアウトや書体に凝ったりしていたなと思ったんです。
 それから、街でもちゃんと目立って、広告として機能することがやりたいと真剣に考えるようになりました。
 そんな時、独立した可士和さんの事務所に遊びに行って、見せてもらったのがSMAPの仕事で、ガーンと衝撃を受けました。レディメイドのものをポンポンと配置しただけなのにとてもメジャーな感じがあって、この方向を目指そうと強く思ったんです。
 それを自分なりに試したのが日本ラグビーフットボール協会の仕事です。Macの画面上で「男」って漢字を倒したら「これはラグビーのアイコンになる」と思ったんです。ラグビーって汗くさいイメージはあったけれど、汗ではなくて、男のスポーツということがクールに訴求できるだろうと考えました。そうしたらスポーツ新聞に取り上げられ、お客さんも入り、ラグビー協会の人も喜んでくれて、僕も含めて、関わったみんながハッピーになったんです。

佐野研二郎
アートディレクター/グラフィックデザイナー
1972年東京生まれ。96年多摩美術大学グラフィックデザイン科卒株式会社博報堂入社。現在、博報堂/HAKUHODO DESIGN勤務。
東京ADC、東京TDC、JAGDA会員。2004年、NY ADCグラフィックデザイン部門の審査員を務める。
主な仕事に、日光江戸村「ニャンまげ」、キリンビール「豊潤/極生/生黒」、東京放送「TブーS!」「チャンネル★ロック!」、ラフォーレ原宿「グランバザール」、世界柔道2003公式ロゴマーク/ポスター、ラグビー日本代表ポスター、ワールドカップバレー2003公式ポスター、としまえんプール、パルコ「100%ORANGE」、ソニーコンピュータエンタテイメント「PSP」、Franc franc「U*MO」、日産自動車「MURANO」など。 主な受賞に、2000〜05年NY ADC賞、02年東京TDC賞、JAGDA新人賞、02、03年東京ADC賞、05年NY FESTIVAL等多数あり。

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